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2008年8月24日 今回のフェルメール展は要注意!?

今年の12月14日まで、上野の東京都美術館で開催されているフェルメール展には七点の真作とされる絵画が展示されているが、その中に子供でも「?」と思ってしまう疑問作が一点入っているので、これからご覧になられる方は注意して見てもらいたいと思う。その作品とは、『ヴァージナルの前に座る若い女』。2004年に真作と判断されたというのだが、その根拠が実にあやふやなのである。20年前に科学調査が実施され、顔料の組成、粒子、そしてキャンバスの織りの特性、経、緯の糸の数が、フェルメールの他の真作と酷似していることが、その根拠であるという。私が「あやふやである」という点は、顔料もキャンバスも画家が購入した既製品である以上、同時代の別な画家の絵を調べても、フェルメールと酷似したデーターが出てくる可能性があるからである。その絵を見ると、フェルメール特有の、あの日常性の中に溶け合うスピノザと重なる汎神論的な光の恩寵や謎めいた永遠性といった、独自な指紋を思わせるものの伝播はまるでない。それでいながら上記した副次的な点をもって真作と断ずるのは、例えるならば、瀕死の患者を前にしながら、しかし機械の数値は「正常」と出た場合、その患者に向かって、あなたは大丈夫ですよと診断する藪医者のごとくである。自分の眼や直観よりもハイテクノロジーの方を優先する、――こういう医者は最近多いというが、展覧会に関わる美術館や企業はもっと高い理念と責任をもって事に当たるべきではないだろうか。フェルメール研究家の小林頼子氏なども『ユリイカ』のフェルメール特集で、この作品が真作と判断された事には疑問を呈している。私はまだ今回のフェルメール展は見ていないが、作品の横に何らかの説明が記されている事を、訪れた鑑賞者への良識ある配慮として願っている。

さて、ここでお知らせ。拙著『「モナ・リザ」ミステリー』の中に併載したフェルメール論『デルフトの暗い部屋』を基にした講演を今秋、開催します。『フェルメール・光の見方』と題して、私が訪れたデルフト紀行、フェルメール絵画に関する徹底解剖、そしてフェルメールの実像の内奥に肉迫した内容です。

日 時:11月1日(土)15時30分〜17時30分
場 所:朝日カルチャーセンター(新宿住友ビル3階)
申 込: Tel.03-3344-1947

なお定員制ですのでご希望の方は、お早めにお申し出ください。

フェルメールの真作 ヴァージナルの前に座る若い女
フェルメールの真作 ヴァージナルの前に座る若い女

2008年8月9日 あまりにも愚かな話

バブルに狂奔する中国経済や韓国の景気の余波を受けて、日本の美術界が今、異常とも思える傾向を呈している。奈良美智に村上隆を足して2で割ったところに白痴的で衰弱体の意匠を施したスタイルの絵画が若い世代に多く流行し、それを輸出して外貨を稼ごうという、まあ土地ころがし的な、理念も何もない、美術を商品としか見ない(見れない!!)画商たちが、雨後のタケノコのごとく横行しているのである。早く言えば、こういう連中による若手作家(?)の青田買いである。完成度の低い未熟な作品、モードだけの品格のない画面、売らんかな!!の唯のグラフィック!!・・・。狂態の例を挙げると、ある新人作家に興味を抱いた良識ある画商が接触を試みたところ、何と、「マネージャーを通してからにしてほしい」と真顔で言ったという由。ポピュラリティーのない分野である事も知らず、勘違いも甚だしい話である。

その傾向への疑問をテーマに、今月号の『月刊ギャラリー』が特集を組んでいる。発言しているのは、私、そして舟越桂氏ほか2名の作家達。50代、60代の連中であるが、4人の作家の意見がこれまたバラバラなのも面白い。興味のある方は、ぜひ御一読を!!


2008年7月25日 あろうことか・・・!

人も自然も生態系のなかでバランスをとっていた頃の夏は叙情的な風情があった。それに比べ、地球温暖化の異常事態の今、夏は歪んでうだるように暑く私達の五感にねばついてくる。とにかく暑い。不愉快なまでに暑い。その猛暑の中、あろう事かよりによってエアコンが故障してしまった。さっそく業者に来てもらったところ、基盤がこわれているので部品が大阪の工場から届くのに一週間以上はかかるという。と、いうわけで中身のあるメッセージを書きたいのだが、かくのごとき次第で頭がまわらない。次のメッセージはちゃんとしたものを発信したいと思う。


2008年7月14日 共振の場を求めて

9月28日まで開催中の『駒井哲郎 銅版画展(イメージと言葉の共振)』を観るため、先日、名古屋ボストン美術館を訪れた。当美術館の館長で、俳人の馬場駿吉さんのコレクションの中から駒井作品の名作を一堂に集めたもので、駒井さんの各々の版画のイメージと対峙するように、馬場さんの俳句が並べて展示されている。馬場さんの俳句が持つ叙情の闇の幻視に光を照射したようなポエジーと、駒井さんのモノクロームの版画の核にあるポエジーが鋭く絡み合い、今まで覚えた事のない視点から新たな駒井美学が鮮やかに立ち上がり、予想以上の収穫であった(東京で展示されないのが実に残念に思うほどの内容である)。

会場を出た後、コラボレーションの打ち合わせをする為に、馬場さんとお会いした。来年2月、厳冬のヴェネチアを同時期に各々が訪れ、馬場さんは俳句、そして私は写真を通して、ヴェネチアの断面を切り取り、開示する試みである。

今秋10月から始まる銅版画集『鏡面の詩学―ジョン・フレミングの仮縫いされた肖像』の刊行記念展の開催の後も、来年にはヴェネチアでの撮影、美術雑誌の連載をはじめ展覧会の予定が次々と詰まっている。常に感性を研いでいる事で、表現者としての次なる仕事が意味を持ってくるのである。のんびりと停まってはいられない。


2008年6月23日 天才という形

天才舞踏家の土方巽は謎に満ちた人物であるが、その中でも最大の謎は、70年代に入って突然のように踊ることを止めてしまった事である(以後、彼は弟子の振り付けや構成に専念してしまう)。最近刊行された『土方巽――絶後の身体』(稲田奈緒美著、日本放送出版協会刊行)は、その謎の解明までも想像しうる、土方巽論考としては最も優れ、かつ面白い本である。土方巽の才能のありようを評して、ニジンスキーとディアギレフを足して2で割った人物と評した人がいるが、もはや伝説の域に入ろうとしている土方を活写したこの本は、その周辺にいた芸術家群像、そして60年代の文化面の過激な舞台裏までも詳細に記述してあり、時代の断面を語る貴重な資料としても、今後評価を高めていくに違いない。

さて、なぜ土方巽は舞踏家としての自らの可能性を封印してしまったのか!?――著者はその事への断定的な言及はしていないが、その分、私達がそこに推理する余地を与えてくれている。そして読後、私見ではあるが、私の推理は2つの点に絞られた。ひとつは初期からの土方巽の最も鋭く深い理解者であった三島由紀夫の自死。今ひとつはディアギレフと重なった面――すなわち、如何に生涯の形を演出するかという、土方自身へのプロデュース的志向である。土方がその突出した御しがたい才能をアピールしたかった相手は、極論ではあるが、唯一人、三島由紀夫のみであったのではあるまいか。その三島が突然、白昼夢のように地上から消えた時、土方の表現者としてのアニマ的な才能もまた彷徨し、ついには空無と化した。「天才は天才を知る」の言に沿えば、「天才が相手とするのは、天才だけである」という言葉も成り立つであろう。三島の死は、澁澤龍彦の眼差しを西洋から日本へと強度に向かわせたが、土方もまた強度な波動をその死から受け止めたに違いない。土方を論じる過程で、美の魔王的存在としてあった三島由紀夫が不気味なまでの形となって投影されるのを感受できる秀逸な著書である。


2008年6月1日 哀悼――再びNice guy 佐谷和彦氏

昨年、このメッセージ欄で「Nice guy―佐谷和彦氏」というタイトルでご紹介した佐谷画廊主の佐谷和彦さんが、5月23日食道がんで逝去された。〈画廊の仕事〉に自らの拠って立つ地平を見出し、高い理念と強い意志をもって駆け抜けた80年の見事な骨太の生涯であった。

佐谷さんが企画した展覧会は、美術館レベルというべき質の高い内容ばかりで、「オマージュ瀧口修造」展を軸に、クレー、ジャコメッティ、そしてシュルレアリスムの画家たちからデューラーに至るまで幅広く、強度な精神を表象に映した芸術作品ばかりを厳選して精力的に発信して来られたのである。展覧会の時には必ずカタログを作るのを信条としておられたが、雑誌『ブルータス』の優れた美術書を紹介した記事で、あまたの美術書を抜いてトップに佐谷画廊の全カタログがランク付けされていたことからも、そのレベルの高さは推察していただけるであろう。残念ながら佐谷画廊の全カタログは絶版のため、入手不可能であるが、画廊の多忙な仕事の合間をぬって執筆されてきた佐谷さんの著書『佐谷画廊の三十年』(みすず書房)をはじめとする7冊の著作をぜひお読み頂く事を、私は強くお勧めする。

私事になるが、佐谷さんの企画された「現代人物肖像画展」で、デュシャンやシーガル達と共に私のオブジェの新作を5点展示して頂いた時に得た自信、そして又来日したクリストが私のオブジェ作品に眼を留め、高い評価をもらった契機、どちらも佐谷さんが作られたのであり、現在私が表現者としての活動をしていけるのは、佐谷さんに拠るところが大きい。逝去される一ヶ月ばかり前、夢の中に突然、佐谷さんが現れた。夢の場所は銀座にあった佐谷画廊のように思われる。眩しい光が放射するのを背にして、こぼれんばかりの笑顔を浮かべられ、私に注ぐその眼差しは慈愛の優しさに満ちていた。私はそれを佐谷さんからの最後のメッセージと考えている。その力強い笑顔の記憶を糧に、これからの生をまっとうしていきたいと思う。


2008年5月11日 ダンディズムの美学――澁澤龍彦

澁澤龍彦氏が亡くなられてから、今年で早くも21年が経った。没後に全集が刊行され、展覧会も数多く開催され、幅広い世代に渡る澁澤ファンが今も次々と増えているが、こういう現象は極めて異例の事のようである。難解な内容を平明な文章で語り、瑞々しいポエティックな感性と確たる眼差しで、その本質をつかみとった切り口の鋭さは、何度読んでも初読時のような高揚感を覚えさせ、読むこと思索することのアニマを私達に抱かせて止まない。

生前その澁澤氏にお会いしたのは、まさに一期一会のようなものであった。池田満寿夫氏の結婚式に招かれて、銀座のクラブを訪れ、店員の案内で幾つもある小部屋の一つに通された。その同室に、サングラスにパイプを燻らせた、全身ダンディズムの毅然とした澁澤氏がいたのである。未だ20代の私はさすがに緊張したものの、それは心地好いものであった。せっかくの機会で何を話そうか・・・。そう考えている内に、空気を破るようにして、もう一人の客人である岡本太郎氏が入って来て、雰囲気はバラバラになってしまった。岡本氏の存在をまったく無視して超然と在る澁澤氏の姿を見て、その時私が一瞬で学んだのは「矜持(きょうじ)としてのダンディズムの美学」というものであったかと思う。後年、澁澤氏と親交の深かった野中ユリさんや詩人の高橋睦郎氏が、各々澁澤氏と会う事を私に薦めてくれたが、氏は病に倒れ、その機会はついに訪れる事はなかった。

澁澤氏夫人である龍子さんから、横浜・山手の神奈川近代文学館で開催中(6月8日まで)の『澁澤龍彦回顧展』の招待券を頂戴し、高橋睦郎氏と龍子さんが対談する日に会場を訪れた。展示は出生から没年までの軌跡を巧みに構成し、見応えのある内容である。美と悪と魔が、芸術の三位一体である事を知る別なる天才――異形の突出した才能を持つ三島由紀夫氏と土方巽氏が、澁澤氏と重なる感覚を得た。会場で濃密な充電をする事が出来たのは、望外の収穫である。これ以上はない必見の展覧会であるので、ぜひお奨めしたいと思う。


2008年5月1日 音楽には気をつけろ!!

今回のタイトルである「音楽には気をつけろ!!」という名言を刻したのは、たしかジャン・コクトーではなかっただろうか。内耳の奥深くに一瞬で入り込み、感性の危うい扉をたちまち(横暴なまでに)開いてしまう「音楽」の力に対し、私たちの聴覚から琴線へと至る無垢な領域は、あまりに無防備であるといっていい。例えば私の好きな楽器の一つにフルートがあるが、あの優雅さの奥に潜んでいる幽(かそけ)し憂愁のメランコリックな羽音は、私たちをしてありえぬロマネスクな晩秋の気分へと、いとも容易に至らしめてしまうのである。

さて先日、フルート奏者の吉川久子さんに招待され、そのコンサートを聞きに神奈川県民ホールを訪れた。昨春の井上陽水のコンサート以来である。多くの人々が集う中、モーツァルトやアルビノーニのアダージョなどが次々と奏でられ、会場を酩酊の一色に染めあげていった。招待された理由は、今年から私の語りと共に数回のコラボレーションを開催したいという吉川さんの企画を受けて、先ずはその顔合わせなのである。コラボとはいえ、吉川さんのフルートに美術の私をどう絡めればよいのか?――演奏を聞きながら、ふと「眼の快楽(けらく)・耳の愉楽」といった言葉が浮かび、それならばフェルメールについて語ろうという着想が湧いて来た。

休憩に入り、ロビーで好物のクリームソーダ水を飲んでいると、隣のホールからものすごい声量のテノールがビリビリと飛び込んで来た。秋川雅史氏の歌う「千の風になって」が聞こえてきたのである。ロングヒット中のこの曲は、死者の魂が墓などにはなく、むしろ四囲の鳥や雨や光となって、いつもあなたを見守っているという内容であるが、究極のサプリメントの壺を押さえたこの曲のヒットによって、プロデュースをした新井満氏の微笑みは絶えず、墓石屋はさぞや青ざめていることであろう。「残された者のまわりで、いつも死者の魂が見守っている」というイメージは、確かに、喪失感の琴線に触れるものがあるが、死者からの発信の証としては、実際には鳥や雨といった事象よりも、むしろ電器系統の方に現れるケースの方が多いようである。具体的にいうと、斎場から自宅に戻ってみると、確かに消した筈の電灯が点いていたり、取り替えたばかりの蛍光灯が不思議と点滅をくり返したりする現象である。つまりは、生前の最後の意識が死の瞬間にエネルギーとなって放射され、同質である電気と同化し共振して、私たちの知覚に訴えるというものである。とはいえ、そのような現代の科学の常識をもってしても実証しえない霊の存在について、ノーベル賞受賞者を多数含む、これ以上はない強力な知のタッグチームによって解析へと迫ったことを著した興味深い本が刊行されているのをご存知だろうか?ピューリッツァー賞を受賞したデボラ・ブラム女史の著した『幽霊を捕らえようとした科学者たち』(文藝春秋刊)がそれである。とにかく登場人物たちの顔ぶれが凄い。アルフレッド・ラッセル(ダーウィンと共に進化論の提唱者)、ジョン・ストラット(ノーベル物理学賞)、シャルル・リシュ(ノーベル生理学賞)、マリー・キューリー(ノーベル物理学賞・ラジウムの発見)、ウィリアム・ジェイムス(実験心理学の創始者)をはじめとして、トマス・エジソン、コナン・ドイル(シャーロックホームズの作者)、マーク・トウェイン等々。徹底した合理性と実証主義で、曖昧なものは全て省いてもなお残っていく超常的な現象の存在を、終には肯定せざるをえない所に著者は追い込んでいく。冒頭の「音楽には気をつけろ!!」から始まった今回のメッセージ、私たちの五感を越えた領域に言及したところで、ひとまず終わろうと思う。


2008年4月20日 何とかならないものなのか・・・

今のところ美術家を生業としているが、もし条件が許せば、なってみたい職業が二つある。「西洋骨董商」と「私立探偵」である。出来ればこの二つを兼業できないものかと思っているのだが、夢想家の私としては、その叶わぬ思いを版画やオブジェや執筆に託している部分もある。しかし、今も、兼業の事務所になるような建物はないかと、時おり街をぶらついている。機会を見ては、谷中や本郷辺りも探してみた。銀座の奥野ビルを知った時は、本気で契約しようと思ったが、いささか暗すぎるのと、騒々しい画廊が多いので諦めた。

ところで、都内で最も好きな名前の橋が二つある。言問橋と霊岸橋である。在原業平の歌――名にしおはば いざ言問わん都鳥・・・を由来とする言問橋は、一青窈の歌詞にも登場するように、少女が夢みるような切ない恋情の響きがあり、もう一つの霊岸橋の方は、引き込まれるような言霊の磁力があって、少し怖いのがいい。先日、その霊岸橋そばの古いビルで、友人の画家の有坂ゆかりさんが個展を開催しているというので訪れた。昭和2年に建てられたというレトロでモダンな趣の建物に入った時、「ひょっとして・・・」という予感が走った。そして、会場である3階の「森岡書店」というネームの入った扉を開けた瞬間に、「遂に見つけた!!」という積年の想いが、カタルシスとなって放射した。マチエールの妙を紡ぎ出す有坂さんの油彩画と、オブジェを思わせる白塗りの厚い壁、そして窓から差し込むフェルメールの絵のような淡い光が相乗して、たちまち私を魅了したのであった。店主の森岡督行氏ともすぐに打ち解け、窓を開けて外の景色を見せてもらった。左手に件の霊岸橋が見え、眼下を幅広の河が流れていて、以前に訪れたオランダのアムステルダムの事がふと浮かんだ。海外の古い写真集の販売とギャラリーを兼ねた天井の高い空間は、まさしく私が長年さがし続けていた、ミステリアスなものを追うためのイメ―ジ空間にピッタリなのである。〈何とかならないものなのか・・・〉――この空間に理想の場を見つけて、今、一人静かにパソコンを打っている森岡氏を横目で見ながら、私は、そう思ったのであった。

森岡書店
東京都中央区日本橋茅場町2-17-13 第二井上ビル305
TEL:03-3249-3456
〈日比谷線 茅場町駅下車 3番出口から徒歩1分〉

2008年4月14日 突然、左の肩に手が・・・

桜の花が散り、葉桜の頃となったある日の昼下がり、籐椅子に深く体を沈めて本を読んでいるうちに、いつしか眠ってしまった。どれ位経った頃なのか、突然、左の肩を誰かにポンとたたかれてフッと眼が醒めた。部屋には私しかいない。しかし、誰かが部屋の中をよぎったような気配と、大きな手で左肩をたたかれた感触だけは確かに残っている。誰だろう・・・?ふと考えて、はたと気がついた。ある確信が私を捉え、以前に「メッセージ」で逝去を記した松永伍一さんが、部屋に来たのだと直感したのである。肩を霊がたたいていったという話がある事は知っていたが、それは親愛の情から来るものらしい。なるほど、怖いといった感覚はなく、49日になる少し前に立ち寄っていかれたように思われて、ひたすら懐かしさと嬉しい気分にしばらく私は包まれていた。

さて、活動の近況としては、4月16日(水)から渋谷の東急文化村のBUNKAMURAギャラリーで23日まで開催される展覧会『反主流の美学 考察―1960〜1970年代のカウンター・カルチャー』に版画とオブジェを出品する予定。出品作家は他に、荒木経惟、横尾忠則、合田佐和子、四谷シモン、ベルメール、フィニ、ビアズリーなど。澁澤、種村、寺山、土方、三島などの珍しい初版本なども出品される由。60年代の照射とはいえ、出品作家の顔ぶれからみて、灰汁(あく)の強い展覧会になるであろう。近くにある松涛美術館で開催される、これまた灰汁の強い「中西夏之」展と併せてご覧になれば、胃がもたれる事は間違いなし。ぜひご高覧を。


2008年3月23日 作者として本望である。

I. 私の作品(版画・オブジェ)を情熱をもってコレクションして頂いているコレクターの方々は、もちろん私にとって一番大切な存在であるが、さらに加えて、こういう人に所有されれば作品も本望である、という場合がある。例えば銅版画の『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』は、ドイツ文学者の種村季弘氏や池内紀氏(カフカの翻訳者)が所有し、『Study of skin−Rimbaud』と『Face of Rimbaud』はフランスのランボーミュージアムが収蔵したが、今日、画廊のサンカイビに、詩人でランボー研究家としても知られる野村喜和夫氏が来廊し、上記の版画を購入された。カフカやランボーを主題とした版画は特に評価が高くなり、価格が発表当時の倍以上に上ってしまったが、それでもコレクションしたいという申し出には、本当に感謝したいと思う。野村氏は近々、ランボー詩集の全訳を共著で刊行する予定で、私の上記の版画をその中に使用したいという構想を聞く。とても良い話だと思うので快諾する。

II. 美術評論家の中村隆夫氏が、私の初めての写真展のためにテクストを執筆された。今回の作品の本質を的確に言及したもので、作者として嬉しい手応えを覚えている。個展にお越し頂けない方のためにお伝えしたく、以下にその全文をご紹介しよう。

「北川健次写真展―サン・ラザールの着色された夜のために」に寄せて

 北川健次氏の銅版画、オブジェには共通する手法がある。直線や曲線を施したり、古い絵葉書などの叙情的な素材に手を加えることである。直線は時には無機質で知的な印象を与え、曲線は有機的かつフィボナッチ数列に基づく神秘的な印象を伴う。彼はこうして、素材の意味性や叙情性を適度に剥ぎ取り、変質させ、揺らぎを生じさせる。
 今回の出品作を撮影するにあたり、彼はパリや、ベルギー国境に近い詩人ランボーの生地シャルルヴィルを渉猟して、徹底した現場主義の姿勢を貫いた。現場では人工照明を使用せず、写真をデジタル加工することもしない。「ミケランジェロの光降る彫像―Musee du Louvre」の被写体は、ルーヴル美術館にあるミケランジェロの「瀕死の奴隷」。多くの人がこれを眺め、通り過ぎる。陽が沈むにつれて影が顔から胸にさしかかる。その時、この被写体が急に彼の前に立ち現れた。それは半ば「瀕死の奴隷」ではなく、作品の被写体と呼ぶべき何かに変貌している。彼は素材を加工することなく、自分の求める揺らぎや、ポエジーが現れるのを待ち、的確に捉える。
 「静かなる彫像-Musee du Louvre」は、ガラス窓を背景にした少年の頭部像の写真である。ガラス越しの外の眺めと頭部像の反射によって、彫刻が置かれている空間や彫刻それ自体のアイデンティティが危うくなっている。そして、「瀕死の奴隷」に添えられた「サン・ラザールの震える舌の先で、私はー私たちは、ついに発音されることのない『R』について長い息の交換をし合った」という言葉が示すように、彼の冴えた言語が本来の素材をさらに揺さぶる。
 能動と受動というアプローチの違いはあるが、銅版画、オブジェ、写真から放たれるポエジーは同質である。彼の場合、ポエジーはひねり出されるのではなく、内なるフェティシズムと共振したときにそれは成立する。だから、それらの間には何の矛盾もない。そのフェティシズムを、メランコリーあるいは死の翳りとでも呼べばいいだろうか。ぶれのないアーティストによる魅力的な写真展である。


2008年3月19日 プロとしての完成度の高さを求めて

I. 日本橋浜町にあるギャラリー「アートスペース・サンカイビ」で、今月の26日(水)まで開催中の私の個展が、初の写真展であるにもかかわらず好評を頂き、作品(写真)を多くのコレクターの方々に購入していただいている(私の在廊予定は21日(金)は11:00−18:00、22日(土)は11:00−14:00、24日(月)・25日(火)・26日(水)は18:00まで)。各作品とも限定は僅かに3部のみ。シート価格38,000円と、少部数で安価で発表している事に、来場された方は驚いておられるが、私がプロの表現者の矜持として、何よりも作品の完成度の高さに力点を置いて撮影したのが理解され、ストレートに伝わっているのを実感している。出品作の中では、早くも完売となり、絶版になる作品(写真)も出て来て、厳寒のパリでの苦労が、今ようやく報われようとしている。私に初の写真展という構想を企画し、パリへと飛ばして頂いた、サンカイビのオーナーである平田美智子さんのプロデューサーとしての先見性と実行力にあらためて感謝したいと思う。展覧会の詳細は、「月刊ギャラリー」の小特集、および「月刊美術」で紹介されているが、3月22日(土)発売の「東京新聞」の展評でも大きく記事が掲載される予定なので、ぜひ御一読して頂きたいと思う。

II. 最近の出版界の傾向として、文庫本になかなか面白い企画が見られるが、中でも筑摩書房が群を抜いて頑張っているように思う。その、ちくま学芸文庫から今月刊行された新刊書『スタンツェ』の表紙装画に、拙作の代表作のひとつである『逡巡する九月―プラハ』が使用されているので、こちらもぜひ見ていただきたいと思う。西洋文化における言葉とイメージの関係を考察した内容で、出版社から作品使用の依頼があった時、本のテーマと作品とに通じるものがあるのを直感し、快諾した。著者はジョルジュ・アガンベン、訳者はモランディの研究で知られる岡田温司氏。ダ・ヴィンチ、デューラー、エルンスト、セザンヌ…などの図版も多く、なかなか興味深い本になっている。先日、サンカイビの個展会場に編集長の大山悦子さんが来廊され、しばし楽しいお話を交した。くりかえすが、『スタンツェ』―枕頭の書物としても、特におススメである。


2008年3月14日 私の危惧が現実になった!!

昨日、私の最も敬愛するE.Aさんがバルセロナから帰国し、お土産にダリの聖地で知られるポルト・リガトの海岸の「石」をプレゼントされた。18年前にそこを訪れて以来、とても欲しかったものであり、ガラスケースの中に大切に納めた。ガウディの未完に終わったサグラダ・ファミリア教会の印象を聞くと、ガウディによる正面のファサードが放つ凄味あるデモニッシュなアニマに比べ、後世の(日本人をリーダーとする)人達がガウディの遺志を継ぐと唱って建設しているものの凡庸さは目を覆いたくなる程であり、バルセロナの市民からも最近は、さすがに、その続行への疑問あるいは批判が出ているとの由。話を聞いて、私が18年前に教会を見た時に抱いた危惧が、いよいよ現実のものとなったという実感を持った。

私の危惧をわかりやすくいうと、例えば、ダ・ヴィンチ作の未完の絵の部分に、彼の遺志を継ぐとして、後の人が手を加えるとどうなるか?を考えて頂きたいのである。一般的に教会は各々に「様式」があり、数百年を経ても、職人レベルの当初の意図のままに作られる。しかし、ガウディの作品はモデルニスモ(アール・ヌーヴォのスペインへの移行した美学)として語られるが、彼の本質はバロックと表現主義の混合であって、天才としての彼一人だけの唯一無比の感性である。「果たせなかった遺志を、その人生をかけて受け継いでいく」――確かにそれは一見美談で聞く人をジンと熱くさせるが、こと芸術においては錯誤的な感傷にすぎず、本質にあるガウディのスピリットを消していくことに他ならないと私は断言したい。18年前に教会の前に立った時、私がそこに見たのは、未完のファサードのはるか高みに聳え立つ蜃気楼としての巨大なデーモンであった。そう、私たちの想像力という感性の営みの中で、サグラダ・ファミリア教会は、それを見る度に、私たちの中で見事に建立されるのである。ガウディ自身、あるいは、後世の人が後を受け継げばよいと語った(かもしれない)。しかし彼が語ったであろう後世の人とは、あくまでも客体化された彼自身に他ならないのである。あろうことか、受け継いだ人はネスカフェのCMに登場し、ガウディのスピリットの上を今日も騒音を立てて、石が積み上げられていく。私の危惧を疑う人は、正面ファサードではなく、後陳の方に回って見てほしい。人類の遺産として取返しがつかない事がそこで行われている事を、あなたは目の当たりに目撃されるであろう。


2008年3月10日 開催中の二つの個展

版画集を中心とする私の個展が、広島のリベラルアートで16日まで開催されているので、先日、画廊を訪れ、オーナーの沖山陽子さんとスタッフの森田麻水美さんにお会いした。画廊に入るや、完璧といっていい展示のセンスの高さに驚いた。版画とオブジェを併せて展示するのはなかなか難しいものがあるが、原理の異なる作品がお互いに相乗して見事に空間で響き合っているのである。理念を持った質の高い画廊には、それを映すようにレベルの高いコレクターの方が多くいる。広島での個展は初めてであるが、それにもかかわらず次々と作品がコレクションされていっている。その中でも、『肖像―ROME』という、私の中でも大作の作品を求めていかれた方がおられたのには本当に驚いた。まだまだ作品に共振してもらえる方との出会いがあることを、私は強く実感したのであった。

以前にも、このメッセージ欄でお伝えしたが、26日まで東京のアートスペース・サンカイビで、私の初の写真展『密室論―サン・ラザールの着色された夜のために』が開催中である。画廊にいると、作家の伴田良輔氏が、美術家のジャン・ピエール・テンシン氏と共に訪れてくれて話がはずんだ。日本でエロスに関する最多のコレクションを持つ伴田氏に、この国の美術館で、まともにエロティシズムを形而上学的にとらえた展示が成されたことのない事への疑問を話すと、大いに共鳴してくれた。熱海の秘宝館のようなキッチュなものではなく、例えば、ベルメール、アラーキー、春画、バルテュスといった芸術の正統としての視点から収集された常設の私立美術館の存在。それを実は伴田氏もひそかに構想中であるらしい。お二人に続いて、名古屋ボストン美術館の館長で俳人の馬場駿吉氏が来廊された。今秋、私がヴェネツィアで写真を撮り下ろす考えがある事をお話しすると、氏の俳句とによるコラボレーションの話を頂いた。馬場氏のヴェネツィアを主題にした句集『海馬の夢』に、ヴィジュアルで御一緒させて頂いているので、実現すれば二回目になるが、お話を頂いたとたん、もう新たなイメージが湧いてくる。個展はなかなかに盛況。私の在廊日は不定であるが、14日(金)、15日(土)は11時から18時までは画廊にいる予定。ぜひのご来廊を、このメッセージを通して乞う次第である。


2008年3月6日 大切な先達の人――松永伍一さん

パリについて書こうと思っていたが、4日の夕刊で作家の松永伍一さんが逝去されたとの報を知り、筆が進まなくなってしまった。私のアトリエに残る、松永さんから頂いた著書と御手紙、そして御教示を頂いたイタリアの裏の歴史、天正少年使節、戦国史などにまつわる多くの知られざる逸話の事が、今は貴重な思い出となってしまった。柔らかで気品のある文体と同じく、笑顔を絶やさない温厚な人柄であったが、話が熱して核心に触れてくると、キラリと眼光が鋭くなり、氏の研究対象に寄せる執念のようなものが伝わって来て、ますます話に引きつけられていったことを思い出す。私が常々抱いている古今東西の歴史の裏面への推測と仮説。それを問うて、深みへと導いてくれる得がたい先達の人を失ってしまったことの喪失感は、これから更に私の中で大きな暗い穴となっていくことであろう。多くの若い世代の人々に、松永さんの著書が読み継がれていくことを願いたいと思う。


2008年2月16日 巴里日記 II


ミケランジェロの彫刻
「写真とは何か?」――この問いに答えるならば、例えば森山大道は「光と時間の化石」と記し、ロラン・バルトは「死のメチエ」という言葉を澱のように重ね、そして私は、「自身の内なるフェティシズムとの暗い照応」という言葉を、そっと付け加えるであろう。

1月12日午前、私がカメラのレンズを通して冬のパリを眺めた時、目の前を領していたのは光ではなく、重く閉ざしたメランコリーであった。少なからず私は焦った。外景を撮ることの無謀さを直感した私は、被写体をルーヴルの彫刻へと転じ、シャッターを押しまくった。ガラスを通して天井から差し込む光が硬い大理石に妖しく揺らぎ、瞬間、官能がフッと息を吐くように立ち上がる。それを撮る。まるで狩るように、さらに撮る。カメラという暗箱の中に次々と「時の結晶」を収めていくという行為はそれ自体がとてもセクシュアルであり、私は感覚を全開にして溺れるように浸っていった。ここに掲載するのは、その内の三点。〈ランボーミュージアムの階段〉〈ミケランジェロの彫刻〉、そして〈サンジェルマン・デ・プレ教会内の椅子〉である。私の初めての写真の個展は3月6日から26日までアートスペース・サンカイビ(日本橋浜町)にて開催される予定。タイトルはおそらく、『密室論――サン・ラザールの着色された夜のために』になるであろう。どのような展示になるのか全く見えてない分、自分でもたのしみである。 (つづく)

ランボーミュージアムの階段 サンジェルマン・デ・プレ教会内の椅子

2008年1月23日 巴里日記 I


出展作 "Face of Rimbaud"
午前8時57分、パリ東駅からTGVに乗り、18年ぶりに見るランスの街を経て、展覧会が開催されているシャルルヴィルへと向かう。午後2時30分着。霧雨の中、ムーズ河に沿って建つ三層の重厚な赤レンガ造りのランボーミュージアムに入り、係員と、私を撮影するために来ていた写真家に迎えられる。一階がランボーの直筆の詩の原稿や、トランク、そして夥しい数の写真などがガラスケースの中に展示されており、私の興味をひいた。「あなたの作品が一番メインの場所に展示されていますよ」と穏やかな微笑を浮かべながら話す係員に導かれて三階の展示室へと昇っていくと、上り口に並べられているジム・ダインの連作が先ず目に入った。そして中に入ると、係員の言葉のままに、部屋の真正面に私の二点の作品が掛けられていた。側面にはマックス・エルンストやアルプを配し、私の真向いにはピカソ、ジャコメッティなどが掛かっていて、ガラスケースの中にはメープルソープの写真他がとてもハイセンスに展示されている。私の作品が入った額が、日本人の感性にはない見事な意匠で作られており、とても気に入る展示になっている。版画を作りはじめた初期から、「ランボー」は私の常なる重要なモチーフであった。今まで私は果して何点のランボーに挑んだであろうか。その全てのランボーを並べれば、それはそのまま私の文体のごときものの移りとなるであろう。そのランボーの"最後"の作品として作った二点が、遠い異邦の地に今在り、秘かに目標として来たジム・ダインやエルンストと共に目の前に在ることに私は或る感慨を覚えた。そして著者のJeancolas氏と学芸員との共同による展示の配慮の中に、私の作品への高い評価を具体的に呈している事に、私はひとつの節としての、或る確信を抱いたのであった。2008年1月11日。私は午前の銀の雨降る中で見たランスの白亜の大聖堂の光景と共に、そして、そこで覚えた或るプライベートな感情と共に、私は生を閉じるその瞬間まで、この一日の事をけっして忘れないであろう。 (つづく)

ガラスケースのメープルソープ作品 ジム・ダインの連作

2008年1月10日 ランボーの解釈をめぐって

新年あけましておめでとうございます。今年も《メッセージ》を御覧ください。

年末にフランスの出版社から送られて来た美術書の中で、私の作品に関して著者のClaude Jeancolas氏は、テクストの書き出しで、次のように著している。「詩人のアルチュール・ランボーを解釈出来るのは、我々ヨーロッパ人だけであるという想いを秘かに抱いていたが、KENJI KITAGAWAの強度な作品は、その考えを一変させてしまった。はたして彼はいつ、どのようにして、ランボーを知りえたのだろうか……」

その美術書の中で、私の版画2点は両面見開きで扱いも大きく、Jeancolas氏の私への評価を映しており私はそれに感謝したが、同時に西欧人が私たち東洋人に対して抱いていたそれまでの偏見のようなものもそこに感じ取ったのであった。美術は文学のように翻訳を必要としない分、あからさまに開かれている一瞬の勝負である。ゆえに厳しくもある。ランボー研究の第一人者であるJeancolas氏の認識の中に、私の作品を通して東洋人によるランボー解釈が初めて入りこんだのは、氏においても今後は意味のある事になるのではあるまいか。テクストはさらに続き、私が自作のランボーの作品のタイトルに「Study of skin ― Rimbaud」とした事への極めて鋭い洞察を氏は著している。その美術書の中で、私が高く評価したのは、ピカソやジャコメッティよりも、むしろクレーやエルンスト、そしてジム・ダインの作品であったが、それらは彼らの代表作にもなっている作品である。察するに「ランボー」のイメージの磁場から、彼らも強度の「何物か」を感じ取ったように、私には思われたのであった。

私の写真展を開催したいという画廊がスポンサーになり、今月の10日からパリに写真の撮影に行くことになった。撮り下ろしである。広範囲な「パリの肖像」を撮影する合間を見て、刊行記念展が開かれているランボーミュージアムを訪れたり、著者のJeancolas氏にも会う予定になっているが、ともあれ極寒のパリが私の前に待ち受けている。次回のメッセージは、おそらく「パリ日記」がテーマとなる予定。ぜひ御覧ください。


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