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メッセージ(2005年)
2005年12月28日 『ミステリーをこよなく愛する方々へ』――ロンドン編ロンドンにある「ポートベロー」は世界でも最大のアンティークエリアである。週末の土・日に開催される市には夥しい数のマニアが押し寄せにぎわっている。直線にして1km近くはあるだろうか?ともかく大変な広さである。私は毎週のように訪れ、オブジェに使うためのイメージの断片になりそうなものを買い漁っていた。1軒の不可解な店に気付いたのは、しばらくしてからである。その店だけが、何故か白いカーテンで覆われていて商いをしていないのである。ある週末に訪れた時、カーテンが少しだけ開いていた(僅か数ミリ)。私は細目で店内をうかがうと、視野に巨大な鳥籠の一部が見え、その中に入った女性の全裸人形の姿があった。なおも見ていると店内から人影が近づき、サッとカーテンが閉ざされた。街を散策していた、ある平日のこと、私は見た事のある光景の場所に来た。それは週末とはうって変わった、無人のまるで映画のセットのような「ポートベロー」だった。――「あの店が開いているのでは……!?」訪れてみると果して直感は当たり、その店だけが開いていた。ただし無人。おそるおそる入ってみると、ガラスのびんが夥しく並び、その中に、あきらかに人の臓器や指などがホルマリン漬けとなって入っていた。壁にはこれまた夥しい数の、眼を閉じた死人の顔のアップ……。戦慄を覚えた私は奥に人の気配が立ったのを感じて、すぐ店を後にした。「ポートベロー」――入口から300mあたりの向って左側。何を商っているのか?興味のある方は一度訪れてみてほしい。――ただし、絶対、一人では行かないように。 2005年12月22日 『ミステリーをこよなく愛する方々へ』――ヴェネツィア編ヴェネツィアに幽霊屋敷と呼ばれる館が2軒あるのをご存知だろうか?1軒は1600年に焚刑(友人の密告によって)にされたジョルダーノ・ブルーノが潜伏していた館。もう1軒は現在進行形で展開している不気味な館。3年前の春のある午後、私はヴェネツィアに6年滞在していて建築を学んでいる友人のS氏と共にゴンドラに乗っていた。右手にアカデミア橋、左手にサルーテ教会というヴェネツィアでも最も眺めのいいロケーションに出た時、それまで陽気にしゃべっていたゴンドリエの顔がくもった。「北川さん、あそこの館でつい最近、館の主が首を吊ったそうですよ」――S氏はゴンドリエに教えられたその館を指示した。グッゲイハイム美術館の向って左2軒目。聞くと歴代の館の主が自死をくりかえす呪いの館であるという。前回は1994年の事。1991年に私は冬と夏のヴェネツィアを2回訪れているが、その時、主はまだ生きていた事になる。「ウッディー・アレンが買いたがっているそうですよ」「僕も住んでみたいなあ」と私。「やめておいた方がいい」――ゴンドリエが真顔で私にそう言った。水のメランコリーの成せる業か?もともと館には「何か」が棲んでいるのか?冬はカーニバルの季節。訪れる方はぜひ見に行って頂きたい場所である。 2005年12月17日 もう一つのミステリー日本史上において最大のミステリーといえば、「本能寺の変」と「龍馬暗殺」である。龍馬暗殺に関しては、かれこれ20年近く推理を続けてきたが、最近ようやく一つの結論に辿り着いた。刺客を放った黒幕の正体がようやく見えて来たのである。ミステリー作家の多くは大久保利通(薩摩)か後藤象二郎(土佐)の名を挙げる。ミステリーの常道――龍馬の死で誰が利を得たかという着眼である。私も最初の頃は大久保黒幕説を挙げていたが、調べていくと意外な、というよりは、よりリアルな人物が浮かび上がって来た。私が結論づけた黒幕の名。その名を、やはり黒幕とにらんでいる人物が一人だけいる。――勝海舟の推理が、私の結論と一致するのである。現在ではなく、140年前の当時のリアリティーに肉迫して、その空気までを感じなければ見えて来ないものがある。今年は京都精華大学と立命館大学に拙著『モナリザ・ミステリー』をテーマに講演しに行ったが、常宿にしている東山・石塀小路の「田舎亭」に泊まって上記の推理を詰め、『龍馬展』を開催していた国立博物館の学芸員の方とも意見を交わしてきた。底冷えの京都の夜が肌に伝わってくるような龍馬暗殺のミステリーを、早く書き上げたいと思っている。タイトルだけは既に決まっているのだが……。 2005年12月3日 近況三話オブジェの発表も終わり1ヶ月が経過した。今は来春3月1日刊行の銅版画集の制作に入っている。イメージの舞台は当初グラナダであったが、自分の中に、6月に訪れたフランスのナント(NANTES)の彫刻廻廊が想像以上に膨らんでいる事に気付き、舞台をナントに切り換えた。銅版画集のタイトルは『黄金律―NANTESに降る七月の雨』に変更。グラナダ→ナントへの変更は、すなわちイメージのメチエの移りである。パリでの個展のために英語版も同時刊行で作ることにする。6点の内、4点までイメージが決定し、いよいよ追い込みである。 2005年11月8日 再び、冬のパリへギャラリー椿での個展(新作オブジェ)がようやく終わり、今はホッとしている。多くのコレクターの方々に作品が収集されていったが、今回はパリの画商の目にも止まり、作品がフランスの地へも渡るようになった。そればかりか、来年の秋にパリで個展が開催される事になり、60点近くのオブジェを作って欲しいという。評価して頂いたのは嬉しいが、来年は3月に銅版画集の刊行を予定しており、おそらく来夏頃までは地獄の制作の日々が待っているにちがいない。パリの画商はよほど今回の個展が気に入ったのか、同じテーマで作って欲しいという。しかし個展を一回性の劇と考えている私には、次なるオブジェの構想が既に立ち上がっているので、それでいく事にする。今年の6月に訪れたというのに、会場の下見やイメージの充電も必要なので、この冬、再びパリを訪れることになるだろう。冬のパリは灰白色のモノトーンでたいそう暗い。15年前の冬に棲んでいた頃のサン・シュルピス教会裏の住居が懐かしい。はたして今は誰がそこに棲んでいるのだろうか。私がいた部屋は、1952年頃、写真家のエルスケンが『サン・ジェルマン・デプレの恋人たち』を撮りながらスタヂオ兼住居にしていた場所である。次々と人々は去り、ただ建物だけがそこに変わらずにある。残っていく作品だけを私はこれからも作りたいと思う。 2005年10月23日 新たな可能性を求めて『「モナ・リザ」ミステリー』(新潮社)を刊行して、早いもので10ヶ月が過ぎた。朝日をはじめ各新聞や雑誌に多くの書評が載り、「わが国におけるモナ・リザ論の至高点」といった評や「著者自身がダ・ヴィンチと同じく画家である事からはじめて開示されたモナ・リザの闇と真実」といった評などを頂いた事は実に嬉しい限りである。又、私が執筆の最後に辿り着いた結論は、「バタイユやボードレールが記しているダ・ヴィンチ像と不気味に重なっている」という、手応えのある感想もパリ在住の友人から頂いた。書く事は、オブジェや版画を作っている時の孤独な集中感とは異なるものがあるが、上記のような評や本も2刷目に入り、中国からの翻訳の打診があったりと、執筆の孤独の後に訪れる嬉しい報いは、新たな次の執筆への意欲をかき立ててくれる。 2005年8月25日 ホームページ開設のお知らせこの度、Pros & Morris StudioとEdition Press Studioの共同制作により、「北川健次」のホームページを開設することになりましたので、お知らせいたします。 |