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メッセージ(2006年)
2006年12月30日 本当に、それは迷宮入りなのか?
最近、ロンドン近郊で発生した5人の売春婦殺人事件は、1888年に起きた切り裂きジャックの事件を久しぶりに、多くの人々に思い出させたようである。1991年の夏、私はロンドンについて早々に、この事件の著書が多い仁賀克雄氏の資料を持って、イーストエンド地区ホワイトチャペル界隈に現存する5件の殺人現場跡を見て巡り、犯人像を推理したことがあった。推理が高じて犯人の手紙が見たくなり、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)を訪れたが、公式な手続きをとってから来るようにといわれ、さすがにこれはあきらめた。
「切り裂きジャック」という名は犯人自らがつけたものだが、おそらく「JACK IN THE BOX」――すなわち、「びっくり箱」から着想したのではあるまいか。ちなみにこの年は、ロンドンにもう二人の怪物が続けて登場している。独りはエレファント・マン。そしてもう一人は知的怪物シャーロック・ホームズである。「切り裂き」といえば、南方のアルルで同年に事件が発生している。あのゴッホが自らの耳を切り裂き、なじみの売春婦の館に、血まみれの耳を投げつけている。
さて、「切り裂きジャック事件」。――迷宮入りとされているこの事件、実はその気になれば、犯人はすぐに絞り込めるのである。事件の最中、通信社に犯人しか知りえない内容を記した手紙が届いているが、それと容疑者たちの筆跡をつき合わせれば、たちまち判明するのである。かの澁澤龍彦は、犯人を、事件後にテムズ河で入水自殺したジョン・ドルイットという青年がそれだと断定しているが、ジョンの手紙の開示を拒否した関係者によって100年間封印されてしまっている。しかし、それもとっくに過ぎている。何故に詰めないのか?不可解さでいけば、この事の方がよほど迷宮的である。私見であるが、やはり犯人は王室関係者の一人(例えば、アルバート・ヴィクター殿下――謎の急死をとげたため、国王にはなれなかった人物)だと私は見ている。不可解な封印の奥にはイギリス特有の闇がふるえるように今も息づいている。私達の知る、あのダイアナの死のように。
2006年12月5日 よみがえった記憶
昨夜TVを見ていたら、15年前に半年間住んでいたことのあったパリの部屋の光景がとつぜん映り、驚いた。番組名は『美の巨人』。登場したのは写真家のエルスケンである。エルスケンが故郷のオランダからヒッチハイクでパリに辿り着き、写真史に残る名作『セーヌ左岸の恋人たち』をその部屋で現像したのは1952年(それは私が生まれた年である)。サンジェルマン・デ・プレの裏通りにあるギザルド通り12番地の最上階の屋根裏部屋。見覚えのあるタテ長の窓、古びた机、ベッド……。映し出された部屋を見ていて、15年前のパリ留学時の日々の記憶が鮮やかによみがえってきた。番組の終わりで、エルスケンが1990年12月28日にオランダでガンで亡くなった事を語っていたが、その日付を知ってドキリとした。私がその部屋で暮らしはじめた最初の日が、まさしくその日だったからである。エルスケンが3年間暮らしたその部屋に38年後に私が訪れたことになる。その部屋には大きな天窓があった。そこから光が物象として鋭く降り注ぎ、私の感覚はそれを享受しながら、あきらかに変わっていった。銅版画やオブジェへの眼差しが禁欲的なものから官能的なそれへと一変したのである。私より以前、エルスケンもまた同じ光の下で様々な事を考えていた事を思えば、妙にその存在が近しく思われてくる。様々な人がパリに何かを求めやって来て、何ものかを受容しながら、やがて去り、ついには死んでいく。そして強度な厚い石壁に覆われた部屋だけが変わらずに残り、また新たに訪れる人を静かに迎え入れてくれるのである。
2006年11月22日 今月のお知らせ
今月は下記の画廊にて私の作品が展示される予定です。御覧いただければ嬉しいです。
(1) 〈写真×版画〉を超えて
不忍画廊・11月24日(金)〜12月2日(土) 日祝(休)
中央区八重洲1-5-3不二ビル1F
TEL(03)3271-3810
(2) 〈コレクターK氏のコレクション〉
若林奮・北川健次作品を中心に展示
ギャラリーサンセリテ・11月23日(木)〜11月28日(火) 水曜(休)
愛知県豊橋市向山大池町18-11
TEL(0532)53-5651
なお、「迷宮+美術館(コレクター砂盃富男が見た20世紀美術)」展が、渋谷の松濤美術館にて12月10日(日)まで開催されております。
◇ ◇ ◇
先日ふと思い立って、東京都現代美術館に大竹伸朗展を見に行く。ポエジーや知的洗練を帯びた完成度の高さはここには求められないが、その代わり、収集する事へのオブセッションや切ないまでのエレジーが色濃く漂っていた。又、17日にニューヨークへ発った画家のO氏にジョセフ・コーネルの自宅の番地名を記した紙を渡し、そこからハドソン河までの距離の計測を依頼した。ある殺人事件にからんだ推理に必要なためである。
2006年11月5日 初冬の京都でミステリーを…
先日、この欄の日記で龍馬暗殺の黒幕について書いたが、11月1日のNHKの『歴史の選択』でまるで追ってくるように「龍馬暗殺の謎――黒幕は誰か!」という番組がタイムリーに放送されたのには驚いた。さらに驚いたのは、私が黒幕として絞り込んだ人物である京都守護職――松平容保の名を、黒幕として登場させていたことである。
自負するわけではないが、今まで数多く出版された龍馬暗殺に関する本の中で、黒幕として、松平容保の名を挙げた論者は全くおらず、彼に絞りこんだのは、おそらく私が初めてであると思う。NHKが松平説を番組の中で立ち上げたのは、近年の研究の成果によるというが、私は自分の推論に風を得たようでもあり、さらに確信を深めることができた。ミステリーの犯人を絞る常道は「誰が一番得をしたか?」であるが、この事件の性質上、「誰が大政奉還に一番危機感を抱いていたか?」に焦点を合わせたほうが、より鮮明に見えてくる。そして、「本能寺の変」と並んで日本史上最大のミステリーと言われる、「龍馬暗殺の謎」を私は以下に結論付けるのである。もし松平容保が動かなくとも、時を経ずしてすかさず龍馬暗殺に動いたのは、薩摩の西郷―大久保、そして公家の岩倉を結んだラインであったことは間違いないであろう、と。2年前に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリー』は研究10年の成果であるが、龍馬暗殺の研究は優に30年を経過している。長い推理の旅であったが、ようやくそれも最終段階に入ってきた観がある。
ところで、私が京都の常宿にしている東山にある『田舎亭』は女将の話によると、築150年だと言う。すると、東山の霊山墓地へと向かう龍馬の棺がすぐ横の坂を通過した時(1867年)、宿は既に建っていたことになる。京都の四季の中で、私は初冬の頃がもっとも好きである。その季節がやってくる。久しぶりに宿を訪れて、ミステリーの詰めをしたくなってきた。
※上記のNHK番組を見逃した方は11月9日(木)深夜1:10から再放送があります。
2006年10月29日 面白かった!!
最近、『龍馬暗殺完結篇』(菊地明著・新人物往来社)という一冊の面白い本を読んだ。著者の菊地氏は、これまでの多くの龍馬暗殺に関するミステリーの著者とは異なり、自分の推論に有利な資料ばかりを集めた手法に偏らず、実に客観的に資料を集め、分析し、闇に光を照らしていく。例えば暗殺の前日から激しい雨が降っていた事を調べ上げ、そのことから、今まで犯人の所持品とされていた現場に残された下駄が、実は暗殺直後に現場に駆けつけた海援隊士の物であったことを割り出していく。結論からいえば犯人は京都見廻組の7人。殺害を指令したのは幕府大目付の永井尚志であると菊地氏は断言する。私の推論では、黒幕は京都守護職であった松平容保(見廻組の直属の長)に絞っており、菊地氏とは意見が分れるところであるが、それでもこの本には魅かれるところがあった。それにしても、龍馬の遺体には32ヶ所の刀傷があったというから現場は凄まじかったであろう。ところで、菊地氏の推論がもし当っていたとしたら歴史の面白い事実が浮かび上ってくる。幕府きっての秀才と知られた永井尚志の子孫に私たちのよく知る一人の天才がいるからである。誰あろう、昭和の文豪――三島由紀夫がその人である。
2006年10月3日 恐るべき二人の名コレクターがいる
「迷宮+美術館」と題して群馬県立近代美術館と高崎市美術館で日本有数のコレクターであった砂盃富男氏のコレクション展が開催(10月22日まで)されている。
さて、その砂盃氏と対峙するように、今一人の恐るべき眼力を持った人物がここにいる。仮にその名をT氏としよう。T氏は現在未だ30代であるが、既にそのコレクションの数と質の高さは群を抜いて圧巻である。私はかって、某美術館の学芸員にT氏のコレクションリストを見せたことがあるが、彼はそのレベルの高さに驚き、すぐにコレクション展の企画を立ち上げた。残念ながらその直後に、彼自身が美術館を異動したため、企画は実現しなかった。しかし、今後にその可能性は大きく残っていると見ていいだろう。T氏は某企業に勤めており、画商でもなければ学芸員でもない。だが、T氏の眼力、美術における知識とヴィジョンの深さをもってすれば間違いなくトップレベルの画商となり、その切り口の鋭さと多様さをもってすれば、突出した企画ができる学芸員にたちまちなりえる人物である。低迷を続ける美術界にとって本当に必要な人材とはT氏のような人物のことを指すのである。しかし、彼はその道を望まない。野に在って、その人材は前述した砂盃氏と同様に悠々と我が道を独歩するように歩んでいるのである。
コレクションするという営為もまた優れた創造行為のひとつである。─私はそのことを、砂盃氏やT氏の生き様から確信するに至ったのである。ご興味のある方は是非、T氏のホームページにアクセスしていただきたい。
2006年9月19日 element――危うい領域へ
私の版画の刷りを10年以上担当している刷師の加藤史郎氏が、先日パリから帰国した。私が版画集のイメージの舞台にしたサン・シュルピス教会やパサージュを初めて訪れ、私が体感した磁場を追体験してきたと、熱く語ってくれた。イメージの物質化のために、私がインクの強度な硬さに何故こだわるのか? その理由が、現場を訪れることで受容するように理解出来たという。氏のこの体験は貴重である。何故なら私の特異な発想法を体感した事で、氏に対する私の信頼は増し、今まで以上に危うい領域へとイメージが入っていけるからである。
さて現在、今までの版画集をまとめた展示を東京の二つの画廊で開催している。先日、カフカの名訳で知られるドイツ文学者の池内紀氏が来場され、「肖像考―FRANZ・KAFKA」
を入手していかれた。カフカを主題にした版画は、以前に種村季弘氏も入手されているが、彼らの眼差しに私の「語りえぬもの」としてのカフカは、どのような波動を放ったのか?今、改めて、方法としての主語とシンタックスを外したカフカ的世界の「かたち」について考え始めているときだけに、作者として知りたいところである。
2006年9月13日 強度な美の仕掛人――白倉敬彦氏
ずっと長い間、その人物の事が気になっていた。加納光於と大岡信の共作『アララットの船あるいは空の蜜』、若林奮と吉増剛造の共作『リーブル・オブジェ』、などをプロデュースし、南画廊との共同出版や先鋭な企画展など、70年代の美術と詩とを絡めた共同作業的な企画を次々と仕掛けていた謎の人物――白倉敬彦氏の事である。以前から白倉氏の全体像を詳しく知りたいと思っていたら、ようやくみすず書房から本が出た。『夢の漂流物』(白倉敬彦著)である。瀧口修造、宮川淳、豊崎光一、吉増剛造、若林奮、安東次男、駒井哲郎、飯島耕一、加納光於、中西夏之、荒川修作、志水楠男……といった個性ある面々が次々と登場し、70年代の先鋭であった美術の現場の舞台裏が透かし見えてきて面白い。今日の美術館の企画のほとんどが「既知の形」をただ提示するだけに停まり、今日の画廊の企画が衰弱体といった状況にあって、白倉氏の切り口は未生の無垢な魂を結晶化して立ち上げたような純度と才能ある一匹狼としての無頼の感に満ちている。美術の現在形の現場におけるプロデュースとは何なのか?求めれば、そのヒントを得られる好著である。閉塞した状況を打破しようという、志ある美術館の学芸員や、「画廊」の仕事を創造的な高みにまで立ち上げたいという、次代に立つべき志ある若者がもしもいたならば、ぜひとも読んで頂きたい一冊である。
2006年8月31日 二つの個展のお知らせ
2001年から2006年までに私は4つの銅版画集を制作しましたが、それをコレクションしている二つの画廊で9月から一堂に展観することになりましたのでお知らせします。
- ARIKA ART SITE
9月1日〜10月6日(11:00〜19:00 土・日・祝は休廊)
東京都中央区日本橋小舟町12-15 日本橋ビル1F
TEL 03-5614-2200
日比谷線「人形町」駅A5出口より歩いて5分
銀座線「三越前」駅より歩いて5分
- ギャラリーしらみず美術
9月14日〜9月27日(12:00〜18:30 日・祝は休廊)
東京都中央区銀座5-3-12 壱番館ビル4F
TEL 03-3575-0013
東京メトロ「銀座」駅B9出口より歩いて1分
すでに絶版になってしまった版画もありますので、ぜひ見にいらして下さい。私も時々会場に顔を出します。
2006年8月28日 幽霊を見てしまう話
記憶の回路の直結は、なにも視覚ばかりとは限らない。聴覚のときもあれば、時として嗅覚の場合だってあるだろう。
以前、逗子在住の詩人の高橋睦郎氏宅を訪れた折、氏の出身地である福岡から届いたばかりという八女茶(やめちゃ)の匂いを嗅いだ事があった。良い香りというよりは、深い香りで知られるお茶であるが、鼻に近づけてみると、くぐもった闇だまりのような匂いがした。嗅いだ瞬間にたちまち少年時代のある記憶が立ち上ってきた。生家の裏庭の大きな無花果の木の横にあった物置小屋。暗くて湿った、時間がそこだけが停まったままで澱んでいるような臭いに包まれて、何故か息をひそめて隠れていた幼い時の私の姿が生々しく映像となってよみ返ってきたのである。正直いってあまり良い匂いとはいえないその八女の茶葉は、熱い湯を通すことで、なるほど銘茶という他はない絶妙な味覚となって変幻した。名作の必須条件とは何か? そのひとつの答のようなものを体感して透かし視たようなこの時の体験は、久しく私の心に残った。
さて、それと関連した事を私は最近、白洲正子さんの対談集『おとこ女達との会話』の中で読んだ。免疫遺伝学者の多田富雄氏との、匂いがもつ過去の喚起能力の話から「お香」の話へと移り、「反魂香(はんごんこう)」という名のお香の存在について、彼らは語りはじめたのであった。何と、そのお香を嗅ぐと、幽霊を本当に見てしまうのだという。おそらく私たちの脳内にある「恐怖」の琴線のような部所へと直結し、想像力の深部を妖しく揺さぶるのであろう。ともあれ、私は近々に「反魂香」を入手して試してみようと思っている(もちろん、部屋を薄暗くして)。それにしても、魂にそむく香り――「反魂香」というネーミングはそれ自体、なんとも怖しい名前ではないだろうか。どのような姿の幽霊が現われるのか、今から楽しみである。興味のある方はぜひ共にお試しあれ。
2006年8月21日 砂盃富男さん
前回クレーについて記したが、その数日後に、画家であり現代美術の秀れた蒐集家であり、また詩人でもある砂盃富男(いさはいとみお)さんの遺稿詩集『パウル・クレーの旅から』(沖積舎刊)が、奥様から届いた。さっそく拝読させて頂いたが、詩の形式を通して語られた鋭くて深い理解の眼差しにみちた秀逸なクレー論である事に驚いた。この純度の高い詩集は砂盃さんが逝去される直前に刊行した芸術論集『ゲルニカの悲劇を越えて』(同じく沖積舎)と共に、何よりも芸術表現を志望している若い世代の人々にぜひとも読んでいただきたい書物である。現代の情報過多の時代にあって、自分の可能性に未だ目覚めていない人々に太い指針となるであろう言霊(ことだま)の力が全編に満ちている。ちなみに版元である沖積舎は、私の最初の版画集『正面の衣裳』を企画刊行した出版社であり、多彩な本を数多く出しているので参考までに記しておこう。
沖積舎――代表・沖山隆久氏 〒101-0051
東京都千代田区神田神保町1-32
TEL 03-3291-5891 FAX 03-3295-4730
『身振りの相貌』(協力・佐谷画廊)―→私のコーネル論も所収
『アンリ・ミショー 詩と絵画』(鶴岡善久)
『原点への距離』(佐谷和彦)
などもぜひ読んで頂きたい書物である。
日本を代表するコレクターでもある砂盃富男さんのコレクション展(私の作品も出品予定)が秋に高崎市美術館・渋谷区立松濤美術館で開催されるが、これについてはまた後日に。
2006年8月5日 国境を越えて
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フランスのBertrandさんというコラージュを作っている方から私の方に突然メールが届いた。カフカとプルーストが好きな方で、私のホームページに出ている作品の中に登場するカフカとプルーストを見つけて、とても気に入り、相互リンクをしたいという内容である。もちろんOKである。興味のある方は直接見られたし。国境を越えて共通した感性を交換し合える事は、本当に尽きない共振の喜びを秘めている。歴史の層の異なった感性と眼に、私の作品がどのように映るのか、――私としても大いに知りたいところである。 |
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2日続けてジャコメッティとクレーの展覧会を見に行く。ジャコメッティ(神奈川県立近代美術館)の方は、パリで既にエース級の作品を見ており、又、主題は、かつて佐谷画廊の佐谷和彦氏が画廊で企画・展示した内容の後発であった事は残念である。しかしクレー展(川村記念美術館)の方はクレーの一級品が数多く展示してあり、同行してくれた友人のT氏ともども、しばらくの興奮を分かち合った。昨今の日本の版画の分野は、「大型版画」と称し、作品のサイズが大きくなければ現代美術ではないといった誠に馬鹿げた風潮がある。都内のある美術館の学芸員が唱した、その、芸術の本質というものを欠いた知的レベルの低い目線を、版画雑誌が後追いし、頭の悪い美術大学の版画科の学生が盲目的にその潮に乗ったつもりで、自らの可能性をたちまち失っていく。クレーの小さな画面(宇宙)に宿る巨視のヴィジョンの豊穣の前に、揃ってその近視眼的な頭を並べてみる必要があるだろう。 |
2006年7月23日 それはあの時、始まった
忘れもしない、あの忌まわしい映像が、寝ていた私の夢の中に突然入りこんできたのは、確か小学校の5、6年生頃ではなかったか。それは、それまで見ていた夢を突き破るようにして映りはじめた凄まじい映像であった。浴室の湯舟に沈められた幼児の姿、その小さな首にまきついた大人の腕と太い指。今度は一転して、幼児の側から映った犯人のとりつかれたような凄まじい形相。――それは、中年の女であった。次に映像は天井の照明をパンするように映し出し、最後に浴槽の底にぐったりと沈んだ何とも悲惨な幼児の姿を映し出して、――突然、消えたのであった。この凄まじい夢見は、朝起きてからも続きがあった。それを見た数時間後の朝のニュースで、有名なある俳優夫妻の幼女が浴室で絞殺された事が報道され、第一発見者としてその家の家政婦がインタビューを受けている姿が映し出されていた。まだ小学生であった私は、その女の顔を見て息をのんだ。夢の中で見たあの女がそこに映っていたのである。家政婦はその後の追及で自白したが、殺人の動機は、映画スター夫妻の華やかな生活への嫉妬であったというからたまらない。その亡くなった子供(娘)の後に二人の男子が生まれ、親子共に芸能人で、今も現役である。この事件は当時話題になったから年配の方ならば、「ああ、あの俳優だな」と名前がすぐ浮かぶ筈である。
離れた場所にいながら、別な場所で起きている光景を透視したり、予知する事はその後度々あった。長じて、渋澤龍彦氏の三回忌に出席した時、寺の中で車座になって上述した私の体験を話していると、その人群れの向こうで、じっと私の話を聞いている女性がいた。画家でエッセイストの宮迫千鶴さんである。その宮迫さんが突然「あなた、ひょっとしてその夢を見る前に、脳の中心に突き刺すような痛みを体験した事はなかった?」と聞いて来た。そう言われて思い当たることがあった。不気味な夢を見た半年ばかり前に虫歯がひどくなり、歯科医院で治療をしたが、その後もなおらず、医者に「やぶ医者」呼ばわりをしたのがいけなかった。怒った医者が、ろくに麻酔も打たず、神経を引きぬいたのである。当然刺すような鋭い痛みが脳天に激しく達し、涙もふきとんだ。宮迫さんにその話をすると、それはコリン・ウィルソンの『サイキック』に出てくる子供たち(超能力者)の事例に当たるという。交通事故や様々な外的理由から脳に激しい痛みを経験した子供たちの中で、その後不思議な能力を身につけた者が現われているのだと、宮迫さんは語ってくれた。
最近も不思議としかいいようがない事が次々と起きている。個展で九州に行くためANAに乗っていた時、機内誌の「翼の王国」を読んでいて、その内容がつまらなく、「自分だったらもっと夢のある文章が書けるのに…」と思っていたまさにその時、地上では編集長に私に取材をさせてみては…という企画が立ち上っていたのである。そして昨年6月、私はそれを受けてパリに取材をし、文章をその機内誌に発表した。又、ある日の午前中にふと、『東京人』という雑誌の事が頭をよぎった。すると、まさにその日の午後に『東京人』から執筆の依頼があり、私は岸田劉生の「切り通しの風景」の事を書いて発表した。又、ある日、「週刊新潮」での久世光彦さんとの共同連載が終わってまもなく、家の近くの商店街で何気なく「週刊ポスト」を手に取って読んだ。伊集院静氏のスペイン美術についての連載があるのを目にして、「週刊ポストもなかなか面白い企画をするな、一度この雑誌で連載してみたいなあ…」と瞬間思って、そのまま帰宅すると、1枚のFAXが届いていた。見ると、「週刊ポスト」からの連載依頼であり、至急連絡を頂きたい旨が記してあった。そして連載は2年近く続いた。
こういう能力は、芸術家の中では、ジャン・コクトーがその持ち主であった事が知られているが、他にはあまり見当らない。口の悪い友人が、「君にあっているのは美術家よりも、むしろロバート・K・レスラーのようなFBI特別捜査官か、安倍晴明のような陰陽師の方ではないか」と言う。しかしもともと芸術とは、闇の世界との交感能力を持った者が業とするものである。ジャン・ジュネが語ったように、それは死的世界――異界との語らいの筈であるとするならば、私はすくなくともその正道を歩いているのではないかと、秘かにつぶやきもするのである。ともあれ、今の私はその歯科医師の技術が下手であった事に感謝をしなければならないだろう。先月、福井で個展があった時、私はふとその医師の事を思い出し、記憶をたよりに病院があった所を訪れた。公園の横にあったその場所は、映画館の駐車場になっており、40年前の面影は何も無かった。
2006年7月11日 「モノクロームの詩人」に寄せて
池田満寿夫さんのプロデュースで、私が初めての個展を開催したのは24才の時であった。池田さんが序文の中で、「間違いなく新しい才能の出現である」と書いて頂いたお陰で、400点近い作品は完売となり、2週間の個展は成功裡に終わった。最終日には、「今後も作品を全て買い取っていく」という画廊の申し出もあり、帰宅した私は、プロの版画家でやっていく決心を固めたのであった。一本の電話が知人から入ったのは、その日の夜半である。駒井哲郎さんが亡くなられた事を知らせる訃報の電話であった。
駒井さんは版画を志す学生に対して、自らの目線を同じくする人であり、その自信ゆえに上から物を言う人ではなかった。しかし、一度だけ例外の時があった。その事を話そう。私が〈姉妹〉という作品を作った時、真っ先に見て頂いたのは、駒井さんであった。多摩美術大学の地下にある薄暗い制作室で、私と駒井さんの二人きりであった。夏の暑い盛りの時であったかと思う。駒井さんは作品を見るなり興味を示してくれて、細部を眺めながら「北川君、この作品はタイトルは何というのですか?」と静かに言われた。「〈姉妹〉というタイトルにしようと思っています」と私が答えた。「〈姉妹〉? それはいけません。私がつけてあげますから〈双生児〉というタイトルにしなさい」と、やや強い口調で言われた。〈双生児〉という毒を持った言葉は、駒井ワールドの文脈であり、シンメトリーに対する非対称を偏愛する私の文脈ではない。それに〈姉妹〉というタイトルは三島由紀夫の『偉大なる姉妹』に登場した異形な姉妹のイメージに対する私の挑戦であり、ここはいくら相手が先達でもゆずれない。私は、「やはり〈姉妹〉にします」と話した。すると、駒井さんは頑固な若造めといわんばかりに、いつもより低い声で「北川君、私はタイトルはうまいんですよ」と話して、ニヤリと笑われた。私は答えた。「せっかくの御言葉ですが駒井さん、タイトルなら私も少しばかり自信があります」
私がこだわった〈姉妹〉というタイトルには、版画にからめた正面性と幾何学的構成の暗喩がこめられている。そして、駒井さんの〈双生児〉という着想には、宿命めいた闇の湿った叙情が見てとれよう。1点の作品から、かくも異なった資質が反映するひとつの例であり、駒井さんのイメージと言葉との関係がそこから私には浮び上がってくるのである。
7月12(水)から不忍画廊で開催する駒井さんの個展は没後30年の特別展である。30年、――本当に時が経つのは早いものであり、それを思えばいくつもの感慨が立ち上がる。近年、私は精力的にオブジェや銅版画に挑んでおり、今は写真にも取り組んでいる。しかし、本当に今の私の仕事を見て頂きたいと思っているのは上述した駒井さんであり、池田さんである。それが叶わないことに、無上の虚しさを覚える事が、最近ますます多くなって来たように思う。
2006年7月6日 実は横浜の山手は……
24才から2年ばかり、横浜の山手に住んでいたことがあると話すと、人によっては「へえ〜ステキな所じゃないですか」という。しかし、それは観光ゾーンとしての山手しか知らない人である。山手は、実は知る人ぞ知る、闇の心霊スポットに充ちている。私が住んだのは、山手の端に位置する所にあったL字形二階建てのアパートで、元は米軍兵相手の娼館であった。そのアパートを出てすぐ右手に行くと、飛び降り自殺が多発する大きな橋がある。出てすぐ左手に行くと坂があり、人はそこを「牛坂」と呼んでいた。この坂の放つ「気」がどうも不気味で、銭湯に行く時も何故か遠まわりをしていた程である。その坂の途中には数軒の古い空き家があった。私が感じ取っていた「気」の正体は、ある日、突然解けた。松本清張の小説を読んでいた時、かつてその坂の途中に一軒の家があり、狂った女がその家で人を殺し人肉を鍋で煮ている最中に警察に現行犯で捕まった事件があったのを知ったのである。深夜のアパートでそれを読んだ時、さすがに私は引っ越しを考えた。
次に移ったのは本牧2丁目であったが、そこからは散歩で山手のワシン坂を上って、病院裏にある空地を度々訪れた。病院の名は「ワシン坂病院」といい、精神病院であった。裏の空地のベンチにすわっていると、真夏の蝉しぐれに交じって夥しい数の眼が私にいっせいに降り注ぐ。眼・眼・眼・眼・眼・眼・眼……。何ともすさまじい数である。鉄格子のはまったいくつもの窓から、あきらめの表情や冷気を帯びた様々な表情をもった眼の氾濫が全くの静寂の中、降り注ぐのである。このワシン坂病院の前身は、明治時代に英国人の夫婦の館であり、妻がヒ素で夫を毒殺した「ワシン坂殺人事件」の現場なのである。その時、私がたっぷりと吸った毒は、出口なく今もなお私の体内を彷徨っている。
時を経て、版画家のKM氏から山手に仕事場を移したという葉書を頂いた事があった。案内の地図を見て、私は驚いた。不動産屋も手をつけないというゾーンに引っ越しをされたのである。数日後に訪れた私は、そこで信じ難い超常体験をするのであるが、これはさすがに記すのを省かねばならない。ちなみにKM氏は、そこにしばらくおられたが、やがて引っ越していかれた。短期間で出られてしまったその理由を、私はまだ聞かないでいる。
2006年7月3日 記憶の中の「横浜」
早いもので横浜に住むようになって既に30年近い年月が経った。はじめて横浜にきたのは14才の修学旅行の時である。異国情緒ただようホテル・ニューグランドや、霧にかすむ山下港に浮かぶ影絵のような汽船や、妖しげな中華街などを見て、将来この街で暮らしてみたいと思ったのである。三島由紀夫の小説『午後の曳航』を読んだ影響も大きかったと思う。小説の中の例えば次のような一節は、私を強く魅了した。
新港埠頭はふしぎな抽象的な街だった。清潔すぎる街路、枯れたプラタナスの並木、乏しい人通り、古風な赤煉瓦の倉庫や、ルネサンスまがいの倉庫会社のビル、これらの間の引込線を、古めかしい汽罐車が黒煙を吐いて通った。その小体な踏切にも、何となく本物らしくない玩具めいた感じがあった。この街の非現実感は、街のすべての機能が航海にだけ向って働らき、一つ一つの煉瓦までが海にだけ心を奪われ、海がこの街を単純化し抽象化してしまったお返しに、今度は街が、その機能の現実感を失って、ただ夢に気をとられているような姿に化してしまったためにちがいない。
私が住んだのは、山手、本牧、山下町周辺であるが、15年近くいた「山下町時代」は三島が描写したのと変わらない、時間が停まったような空間がまだ至る所に残っており、訪れる人とていない赤レンガ倉庫のひんやりとした壁にもたれて、いつまでも海を眺めていたものである。このような空間は、例えばキリコの形而上絵画の空間へと通じ、ボードレール風に言えば「永遠の停止した正午」の感は、凶事を乞う心理をも併せ持っているだろう。私がこの頃に食んだ体験は、後に作り出すようになったオブジェに、期せずしてイメージの充電をもたらした。劇場性のアーティフィシャルな空間のみが孕むリアリティー、幾何学的構成、停止した時間感覚、凶事の気配……。
しかし、三島が抽象的な街と形容した「横浜」は既に無くなり、全てが商業化され機能化され、闇と光がなくなり、味気ないものに変わってしまった。今、ヨコハマを見る若い世代の目には、果たしてそこに「詩的空間」の広がりなどあるのだろうか。
2006年6月27日 講演の日々
美術家として版画やオブジェを作り、美術評論なども雑誌に書いていると、大学や美術館などから講演やワークショップを行なって欲しいという話が入ってくる事がある。『「モナ・リザ」ミステリー』を刊行してからは、特に多くなったようである。国学院大学の哲学科から始まり、多摩美術大学、武蔵野美術大学、玉川大学、京都精華大学、立命館大学、そして美術館では横浜美術館、高崎市美術館、福井県立美術館、etc。それにカルチャーセンターや版画工房や画廊までも含めると、ここ数年ずいぶんとしゃべって来たように思う。先月と今月も、玉川大学のヴィジュアルアーツ学科から話を頂き、1年生と3年生を対象に話をした。主任の梶原新三さんは、毎回そうであるが、事前の打合せの段から非常に熱心に話されるので、私としても真剣になる。「気のない狸は目でわかる」という言葉があるが、学生の中にはそういう狸もおれば、オヤッと思ういい面構えの者もいて面白い。私も将来の不安で揺れていた学生の頃に、講演に来た或る人の言葉から、プロの表現者でやっていく覚悟のようなものをつかんだ事がある。今日、その梶原さんから、私の話を聞いた学生全員のレポートが届き、楽しく目を通した。「根拠がなくても自分に自信を持て!!」――先日話した私のその言葉に、学生の多くがホッとし、自覚をもってくれたことが見てとれた。今年の後半も2つの大学から講演の話が来ている。どのような出会いが待っているのか楽しみである。
2006年6月23日 「モナ・リザ」新たなるミステリー
先日の朝日新聞に、「モナ・リザ」と、その習作ではないかといわれるもう一枚の「モナ・リザ」が並んで載っていた。習作といわれる絵の方は、鑑定によって絵具が1510年より少し前の物であることが判明したと、記事は伝えていた。けっして上手とはいえないその習作の妙な生々しさが気になり。もっとはっきり見てみたいと思っていたら、突然、21日の午前中にフジTVから電話が掛かって来て、22日夕方の「スーパーニュース」で、その「モナ・リザ」を取り上げるので出演してほしいという依頼があった。夕刻、知人の画廊で録画撮りが始まった。見たいと思っていた件の「モナ・リザ」をモニターで見せられ、すぐに推理し、何らかの意見をまとめあげねばならない。私が出した結論は(上記の1510年前の作という鑑定結果を肯定した上であるが)その絵は不肖の弟子サライの作と思われる事、そしてその絵が背景も「モナ・リザ」のそれと一致する事から、1510年にはダ・ヴィンチによる「モナ・リザ」の描写はほぼ終えられていた事が情況証拠から類推出来るという事、そして「絵」はダ・ヴィンチの指導の下でサライが描き、途中で放棄された事が、画面から伝わって見えてくる事、……などを語った。「絵」自体はおよそ画家以前の下手な物であるが、それを軽く見てはいけない。「それ」を鏡のように読み解いていくと、「モナ・リザ」本体の謎がゆっくりと開いてくる事があるのである。「絵」の方は、アメリカのポートランド美術館の収蔵であったが、公開展示にふみきったという。「ダ・ヴィンチ・コード」の人気に便乗したいという発想が伝わってきて、いささか底意に品位が感じられない。ゆめゆめ『レオナルド・ダ・ヴィンチの習作』というラベルを貼っていない事を祈りたい。
2006年6月22日 梅雨三話
先月、パリのポンピドゥ・センターで、ハンス・ベルメールの大規模な個展を見てきたが、これは圧巻であった。会場を構成した学芸員の巧みな演出で、ベルメールの創造の舞台裏を透き見しているような感覚が立ち上がり、エロティシズムの皮膜を突き破って、形而上学的ヴィジョンの結晶の場に立ち会っているような感興さえ覚えてしまうのである。ベルメールを読み解く高い知性と直感力、そして展示におけるハイセンスな構成力。彼の国の文化の成熟度の高さに応じた秀れた学芸員を、確かにこの美術館は有していると思った。
官能性と禁欲性を併わせもったダンサー関典子。写真の光の中に魔的な気配を漂わせる写真家ヤン・ソナ。この御二人の理解と協力を得て今月から集中的に写真を撮り続けている。今日(6月20日)は2回目の撮影であったが、ぶっ続けで8時間、何百回もスタヂオにフラッシュが光り、終了したときは放心状態である。写真というジャンルの中に、私のオブジェ志向や〈直線〉へのこだわりが、どうからまってくるのか? 五里霧中の中、さらに撮影が続いていく。
わが国の美術分野の実態はかくも低く、かつ寒い!! そう実感させられたのが、和田義彦という画家(?)が演じたコピー絵画のC級劇である。被害者のスーギ氏が提案したように、二人の作品を美術館で展示するのは妙案である。本気で企画する学芸員がいたら、その人は「逸材」である。そして、カタログの執筆者は美術評論家ではなく、むしろ心理学者の方がふさわしい。和田という人物を唯一人擁護した森村誠一氏は、彼の小説以上に動機がミステリアスである(鈴木宗男と松山千春の関係に近いか?)。ともあれ執筆者の一人に加えてみると面白い物が出来上がるのだが……。
「面白うて やがて空しき 絵画かな」――笑一句。
2006年6月4日 神保町に不思議な店が出現した!!
神田にある神保町は古書の街であるが、以前からこの町にふさわしい「アンティックの店」がないのが不満であった。現代の喧騒から離れてひっそりと時間を刻んでいるような不思議な店。古書店と共に、「不思議な時の断片」を扱うような店こそ、神保町にはふさわしい。――そう思っているのは私だけではないだろう。
先日、久しぶりに神保町を散策していたら、夢想していたような、まさにぴったりの店が出来ていたので驚いた。名前は「ギャラリー小暮」。ヨーロッパの秀作版画を商うことで知られる「ギャラリーかわまつ」のすぐ近くに、その店はある。主人は、かなりこだわりの美学を持っているように思われた。商っている物は、解剖図・機械の断片・ヴェネツィアの古鏡・西洋婦人の古写真・プラハの迷宮地図・立体写真の装置……etc、私が特に気に入ったのは、実際に使用された「浅草十二階」の古写真(入場券)である。――まるで江戸川乱歩の短編小説からこぼれ出たような「時の断片」が店内に充ちている。
百聞は一見に如かず。ぜひ訪れていただきたい(住所は神田神保町2-14-19、TELは03-5215-2877)。永遠の少年たちが夢見るようなイメージの玩具が、その店には充ちている。
2006年5月26日 『最近の荒俣宏氏が変である』
フジテレビが放送予定の『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の番組(5月20日夜)で、「『モナ・リザ』の背景がフィレンツェ近郊に実在していた」というのを目玉にしているというので、注目して見た。
モナ・リザの背景に似た岩山や川が、自称地質学者の男の案内で見えてくる。レポーターの荒俣宏と米倉涼子が男に導かれて興奮しながら、その風景に見入って「間違いない」という声を発する。私は見ていて、最初かすかな感動を覚え始めた。しかし途中から、これは残像を逆利用した仕掛けだと見破った。ためしに撮っておいたビデオを流して、モナ・リザの絵の背景に重ねたその実写風景をストップし、手元の「モナ・リザ」の複製画と見比べた。思わず「何処が?」と言いたくなるくらい、岩山の形と大きさ、そして傾斜方向が、絵とズレており、一種のヤラセだと気付くのである。ドラマチックな音響がそこに入ると、人は簡単にそう見えてしまう。
私は拙著の『「モナ・リザ」ミステリー』で、背景はアルプスの風景を基にしたものであると断言したが、それは美術史家のケネス・クラーク氏の研究から推論を固めていったものである。又、『モナリザの真実』という本を昨年刊行したセシル・スカイエレーズ氏(ルーヴル美術館チーフ・キュレーター、モナ・リザ担当主任)も著書の中で、「モナ・リザの後ろの風景がイタリアのどこかにあるのではないかと探した人もいるが、それはまったく見当はずれの無駄な行為だ」と記している。視聴率かせぎのためとはいえ、ことダ・ヴィンチに関しては、例えば、イギリスのBBCあたりの知的レベルでじっくりと番組を作っていただきたい。そう願うのは私だけではないであろう。
さて、問題は荒俣宏氏である。私たちは米倉涼子には何も知的な事は望んでいない。しかし、荒俣氏の知性には一目おいている。だが、そこを利用した番組作りのために、狂言廻しのように、はしゃいではいただきたくない。最近、TV番組出演に比べ、めっきりと著作が少なくなったように思われるが、過去に築いた知的財産を、どうもご自身が安く売っているようで残念である。知的怪物に今一度、戻っていただきたい。
2006年4月20日 感謝をこめて
3月に刊行した銅版画集が、日本語版48部、AP版15部共に、1ヶ月を待たずして全て完売となった。作品を展示して頂いた各画廊、ならびに作品を評価して頂いたコレクターの方々に深甚の感謝を申し上げたいと思う。6月末まで巡回展が続くので、予定していたフランス語版42部を急いで作らねばならない。ともあれ、作者として、今はようやく一段落しているところである。
さて、5月11日より17日まで1年ぶりに、再びパリに行くことになった。去年はANAの取材が主であったが、今回は「クリニャンクールの蚤の市」巡りを中心にたっぷりとイメージの充電である。心機一転。未知なる自分の可能性が待っていることを感じる事は表現者としての愉楽である。
今年は写真にも挑みたいと思う(光を通しての官能をいかに捕らえるか!!)。そして与謝蕪村の執筆も5月から開始する事にした。また、新たな私自身が始動する。
2006年3月20日 一瞬の旅立ち
久世光彦さんが急逝した。享年七十。死因は虚血性心不全。 作家・演出家・番組制作会社の三輪をこなして来られたことの、やはり過労が原因であろう。
久世さんとのおつき合いは平成9年4月から始まった。週刊新潮に連載していた池田満寿夫氏の急逝を受けて、急きょ『死のある風景』という題で久世さんがテクストを、そして私がコラージュやオブジェを出していく企画が始まったのである。〆切は毎週水曜日、しかし遅筆で知られる久世さんのテクストがFAXで届くのはその週の月曜日なのである。午前5時頃、熟睡中の私の部屋にFAXの受信音が響く。半睡のまま、今、久世さんが執筆したばかりの原稿と読むと、いつも、その完璧な文に眼が覚める。そして残り二日で、私もまたそれに対する完成度の高い作品を性急に仕上げる事が課せられるのである。2年半ばかり続いた久世さんとのコラボレーションは、その後の私の制作スタンスに影響を与えてくれているように思われる。次々と立ち上がってくるイメージを瞬時にしてからめとり、最良の形で呈示するための方法論のようなものを、いつしか私は身につけるようになったのである。演出と作家を手掛ける久世さんは、美術と共に文章での表現をやりはじめた私に、手紙や電話で、両輪をやっていくように励ましてくれた数少ない理解者であり、心強い先達であった。かつて、爆死を自らの理想の死と語った向田邦子さんは、その言葉どおりの死を遂げ、人の世の生の切なさと儚さを継ぐように刻して来た久世さんも、一瞬にして彼岸へと旅立ってしまった。
告別の日、棺の中に入った久世さんからはまだやり残した文芸への数多い可能性の引き出しを開けてない事への無念と共に、余人のとうてい及ばない表現世界を構築した者だけが辿りついたような、美しい自足の光輝といえるものが艶やかに漂っていた。
2006年3月16日 「刊行記念展」のお知らせ
新作銅版画集『黄金律―NANTESに降る七月の雨』の刊行記念展が始まった。現在開催中の画廊は、ギャラリー池田美術(東京)、ギャラリー本城(東京)、あーとらんどギャラリー(徳島)、MHS・タナカギャラリー(名古屋)、ギャルリー宮脇(京都)の5ヶ所。ひきつづき、コレクションOMO(熊本)、ギャラリーオキュルス(東京)、中上邸イソザキホール(福井)、ぎゃらりー図南(富山)、新彩堂(札幌)と続く予定。
銅版画7点組タトウ入り、日本語版限定48部19万円、フランス語版は日本語版と同じ作品7点組で限定42部23万円(タトウのデザインのみ異なる)。フランス語版は4月刊行予定。
前作までの3つの版画集は発表価格は24万円以下であったが、全て完売となり絶版となっているため、現在の評価額は50万円と、倍近くに上がっているのは嬉しいことである。結局、発売当初に購入して頂いたコレクターの方々の眼力が秀でていたという事になる。わたしの旧作は、高い作品では2万円が40万円近くと20倍くらいに上がっているが、だからといって新作を高くして発表しようとは思わない。版画は複数性に本質があり、学生でも入手可能な価格でなければいけない。作品の本質が秀れていれば自ら上がっていくものであり、早々と作品の内容を評価したコレクターの方々の先見性が勝っていたという事になるのである。
「版画芸術」最新号に私の特集が載っています。御読み頂ければ嬉しいです。
2006年2月17日 いよいよ……始まる
新作銅版画集『黄金律―NANTESに降る七月の雨』の刊行記念展が、今月の25日から6月まで全国11ヶ所の画廊でスタートする。各画廊から出来たばかりの案内状が次々と届き、いよいよという実感が湧いてくる。今回の展示は、版画集7点と表紙の他に、フランスのナントにある「ポムレー路地」の彫像廻廊で私が撮影した写真も展示する構成になっている。150年前の「ポムレー路地」を写した1枚の不思議な写真と出会って以来、6年を経てのようやくの完成である(乞うご期待)。3月1日刊行予定の『版画芸術』で、「版画集―詩想と謎を搦め捕る装置」と題して、版画集の可能性について、8枚ばかり書いているので、ぜひお読み頂きたいと思う。思えば既に5作の版画集を作っているが、新たなイメージを世に問うという緊張は今も変わらない。そして、それは、私の表現世界を評価して頂いているコレクターの方々との感性の交感がまた始まるという喜びと重なっている。作品は近々撮影して当サイトでも発表する予定。
(補記:)前作までの版画集が、韓国やアメリカで評価が高いという嬉しい知らせが届く。今回の版画集からは、より積極的に海外でもアピールしていこうと思う。今年の前半は版画集の刊行展と、パリの画廊で発表するオブジェの制作のため、文章の執筆は少し無理かも。
2006年1月18日 2006年のタイムテーブル
年が明けてから手を離せない用事が重なり、ご報告が遅くなりました。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
さて、今年の主な予定です。
- 1月28日より2月22日までアメリカオレゴン州のポートランドにあるフローリックギャラリーで版画20点近くを発表。
- 1月後半、創元社より刊行される世界怪奇文学全集全5巻(隔月刊)の表紙装画に私の作品を採用。私の作品は怪奇よりも、ミステリーの方にどう考えても近いのですが、装幀を第一人者の中島かおるさんが担当されるので快諾した次第。
- 2月1日より刊行のANAの『翼の王国』パサージュ特集に執筆しています(2月に空を飛ばれる方は、ぜひ全日空に乗って、読んで下さい)。
- 2月下旬より銅版画集『黄金律―NANTESに降る七月の雨』刊行記念展スタート。
- 4月、パリに個展会場の下見に行きます。
- 11月、パリにてオブジェの個展。その後、美学の谷川渥氏と共にヴェネツィアに行き、谷川氏とのコラボレーション『VENEZIAあるいは水の鳥籠』のために、水の撮影と音の収録を行ないます。
これからも未知の可能性を求めて、まだ開いていない「北川健次」の引き出しを、次々と開けていこうと思っています。おつき合いの程をよろしく。
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