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メッセージ(2007年)
2007年12月30日 怖るべき子供がいた!!
1. 以前のメッセージで、私の版画をコレクションして頂いた方で20代の人が現われたと記したが、実は、上には上がいた。――私の版画を評価してくれた棟方志功氏である。棟方氏がまだ若い頃、一人の小学生が思いつめた顔で「版画を売ってください」といって、棟方氏の前に現われた。きさくな棟方氏は、その怖るべき小学生に、おそらくタダで作品をあげたのではないだろうか。ともあれ月日は流れ棟方氏は亡くなられた。――さて、小学生は、その後どうなったのか? 月日は流れ、やがて天才書家の井上有一となって、さらなる怪物へと羽化したのであった。日本では稀有な「表現主義」という荒ぶる感性をキーワードにした時、棟方・井上は共通した骨太の一本の線でつながる。棟方氏の版画を初めて目にした瞬間に、井上氏の中に「魔狂」が宿り、激しく共振したのではあるまいか。
2. 拙著『「モナ・リザ」ミステリー』(新潮社)が刊行後3年を経て、また読まれ出しているという。刊行当時、谷川渥氏(美学)、森村泰昌氏(美術家)ほか、多くの方々から書評を雑誌や新聞で頂いたが、中でも「わが国における、モナ・リザ論の至高点」という最大級の評価は、本当に嬉しかった。最近も、本を読まれた方々から各サイトで好意的な書評を書いて頂いているが、特に目についたのは、以前に『エスクァイア』日本版の編集長をしておられた清水清氏からのメッセージであった。名編集長としてその名はもちろん存じあげていたが、その清水氏からの「絶対お勧めの本」としてのエールは、新たなる執筆への意欲を何よりも高めてくれるものがある。今までも電通、ANA、文化放送…など、「美術」以外の分野にも多くの文章を書いて来たが、清水氏と一度組んで面白い仕事がしてみたいと、そのサイトを見て強く思った次第である。さて読者諸兄よ、来年もこの「メッセージ」をぜひ御愛読ください。
Thank you and I wish you a Happy New Year 2008!!
2007年12月17日 新しい版画の技法書が出た
今朝、『版画――進化する技法と表現』というタイトルの版画の技法書が、出版社から届いた。本を開くと、巻頭の「版画の名作12選」の中の銅版画のページに、駒井哲郎、長谷川潔と共に私の版画が載っていた。図版は、今春刊行した銅版画集『Element――回廊を逃れゆくアポロニオスの円』の中の『回廊にて』と題する作品である。刊行して数ヶ月しか経ってない拙作に、早々と名作の評価を与えて頂いた編集者の眼力には感謝するが、これに自足せず、現代の迷走する版画の状況に痛烈な疑問を呈しつつ、新たなる表現世界にさらに挑んでいきたいと思う。ともあれ、今回刊行した版画集をコレクションして頂いた方々にはさっそくお知らせしたいメッセージである。全編カラーで構成もしっかりしている内容なので、興味のある方はぜひ御覧ください。
出版社は文遊社。
東京都文京区本郷3-28-9 〒113-0033
TEL. 03-3815-7740
FAX. 03-3815-8716
2007年12月4日 何故、ランボーなのか!?
パリの出版社から、近代美術における、ランボーの肖像を題材とした作品ばかりを集めた本が『Le regard bleu d'Arthur Rimbaud』というタイトルで刊行された。著者はランボー研究の第一人者であるClaude Jeancolas氏。本に登場する美術家は、ピカソ、ジャコメッティ、ミロ、マグリット、エルンスト、ジャン・コクトー、アルプ、ブラック、クレー、メープルソープ、ジム・ダイン……など、20世紀アートシーンを作り上げた強力なメンバーがそろっている。そして日本からは、私の版画が2点掲載されており、各々の論考も記されている。
何故ランボーの肖像ばかりが美術の分野において描かれたのか?そして、それらは各々の表現者の中でどのような意味をもっているのか?といった疑問は、実は近代美術史における一つのミステリアスな謎であった。それが、ランボーに関する著書を18冊以上持つJeancolas氏によって論考されたということは当然な着眼点でもあり、美術の分野におけるわが国の研究者たちが遠く及ばない、鋭いテーマの切り口である。刊行とあわせて来年3月末まで、アルチュール・ランボー・ミュージアムにおいて刊行記念展が開催されているので、3月までにフランスを訪れる予定のある方には、ぜひ足を運んでいただきたいと思う。
※出版社は「EDITIONS FVW」
91 bis rue Truffaut 75017 Paris
Tel. 01 53 06 92 12 Fax. 01 53 06 92 13
※Musee Rimbaudはフランス東北部Ardennes県Charleville-Mezieresにあります。
2007年11月13日 まさか、京都で見れるとは!!
ある秋の一日、京都に行き三十三間堂を訪れた。平清盛建立によるこの天台宗の寺にある1001体の千手観音像は、いつ見ても圧巻であり見る人に沈黙を強いてくる。しかし私の悪いくせで、過剰な荘厳さを前にすると分裂症的な妄想が始まり、ここを訪れる度に1001体の像のドミノ倒しがしたくなってくる。まるで小学生レベルの発想であるが、まあ仕方がない。
今回はどうしようかと迷ったが、けっきょく東山にある霊山歴史館(幕末の史料が豊富)へと向かった。訪れて驚いた。龍馬を暗殺した際に使った刀が特別展示されていたのである。暗殺メンバー7人の内の一人、見廻組の桂隼之助の遺族が館に寄贈した物。その存在は知っていたが、まさかその時に見れるとは!! 刃渡り50センチ近い小太刀の短さにも驚くが、その刃こぼれの凄さにも驚いた。以前、土方歳三の愛刀である兼定を見たが、刃こぼれは僅かであった。それに比べ、10センチくらいもある刃こぼれの幅の凄まじさからは、暗殺の瞬間の激闘ぶりが透かし見えてくる。天井の低い部屋で小太刀を使用したという事は、確実に仕止める意志があったことを証している。二太刀切られた後、龍馬はふり向きながら刺客の上段からの攻撃を愛刀の吉行で受け止めたが、刀の背に掌の重みをかけた刺客の押し切りによっておそらく額を割られた、と私は見た。切り傷は35ヶ所に及び龍馬は、ほぼ即死。共に暗殺された中岡慎太郎は刺客が引きあげる際に、詩吟を吟じながら去っていくのを聞いている。そのおそるべき豪胆さを、中岡はしかも評価しながら、二日後に亡くなっているのである。この逸話ひとつをとっても、今の時代とは画然とした当時の緊張が伝わってくる。政権を持つ立場の大臣が、「私の友達の友達は、実はアルカイダなんです」などと、三流の呆けた発言をしているレベルではないのである。
2007年11月1日 スリリングな美術書が刊行された
谷川渥氏、藤枝晃雄氏たちの共同編集による『絵画の制作学』という本が刊行された。本書の画期的な点は、すでに出来上がった作品や作家に対して論じるという今までの視点とは異なり、絵画の制作過程における問題や事象に対して、どのような言語的アプローチが可能なのかという事を多角的に考察しようという、スリリングな試みの書であるという事である。論考の対象は、クレー、ジャコメッティー、ポロック、ベイコン、宗達、マティス、カラヴァッジョ、レンブラント、北斎、ムンク……と幅広く、草間彌生ら現代美術家たちが語った自作に関する言説も面白い。あまり見たことのないベイコンの素描など、興味深い図版も多数掲載。執筆者は田中英道氏、小池寿子氏、前田英樹氏ほか多彩な面々。実は私も本書に、「絶対≠ニの合一 ―― ド・スタールの自殺の謎をめぐって」と、「連作の謎 ―― ダ・ヴィンチの封印された眼差し」と題する2編を書いているので御一読いただければと願っている。
※本書に関するお問合せや、ご注文は下記まで。
日本文教出版(株)
TEL.03-3389-4611 (担当編集者は船本直史氏)
創造の現場という語りえぬ感覚的な領域に知としての言語が鋭く肉薄した、他に類のない読みごたえのある本である。
2007年10月22日 本物の眼力
多くのプロの画商達が口をそろえて、「あの人物の審美眼は超一流である」と推す人物が東京にいる。――神保町で画廊「ギャラリーかわまつ」を経営している川松義宣氏が、その人である。私達が日本で見ることの出来るヨーロッパの近代・現代版画の秀作のほとんどは、この川松氏の厳しい選択眼によって入って来ているといっても過言ではない。以前、私が武蔵野美大や女子美その他で講座を行なった時、タピエスやルドンやホックニー、ゴヤ、ベルメールなどの版画を持参して見せたが、その版画の多くは、私の版画と交換に川松氏から入手したものである。狭い日本の版画しか見た事のない学生達は初めて「本物」の凄みを体験したことに大きな衝撃を受けたようであるが、表現者としての眼を鍛えたいならばギャラリーかわまつを気軽に訪れて「本物」だけが持つアニマに触れてみるべきではないだろうか。
さて、そのギャラリーかわまつで、今月の27日(土)まで私の新作銅版画集の刊行記念展を開催している。旧作の版画やオブジェも併せて展示してあるが、刊行記念展の東京における最終展示である。私も23日(火)、24日(水)、26日(金)、27日(土)あたりは在廊の予定。神保町駅より歩いて1分。御高覧いただければ幸いである。
2007年10月11日 夢のかけら、時の滴が人々の手に
ロンドンやパリの骨董街、ブルージュ、アムステルダム、ブリュッセル、ヴェネツィア、スペインのアンダルシア、その他さまざまな都市や小さな街の路地裏を巡って集めた夥しい数の古びた断片が、アトリエの医療戸棚の中に入っていた。計測器、ガラス玉、古写真、時計の部品、手帳、切手…、etc。それらは、私にとっての夢のかけら、時の滴の変容した姿なのである。しかしそれらを集めた感性は十数年前の私である。今の私を立ち現わせるためにも、それらを全て作品の中に取りこんでしまおう。『偽書あるいは無人の館に舞う七匹の蝶』と題したギャラリー椿でのオブジェ作品はそういう意図のもとに作られた。2ヶ月間で40数点の作品を作ったが、作ることに全く労することなく、すさまじい速さで次々と出来上がっていった。尽きないイメージの引き出しと異常なまでの集中力があるのを私は確信した。
個展は盛況の内に終わり、多くの作品がコレクターの人の手に渡っていった。これからは、私の立ち上げた暗示的なイメージを、各人の方々がさらに自由に紡いでいくことになるであろう。それにしても会場であるギャラリー椿には大勢の鑑賞者が訪れてくれた。13日間で1000人以上の人達を見て、私は多くの手応えを覚えた。これからは、今月の15日からギャラリーかわまつ(千代田区神田神保町2-12-1、TEL 03-3265-3030)での版画集刊行記念展がスタートし、次に熊本・広島・大阪などと日程が入っている。版画集も英語版になり、合わせて70セット以上が既にコレクターの人に収集されていった。とまれ今の私は少し疲れているようである。今しばらくは一年の中でも珍しい安逸の時の中に漂っていようと思う。
2007年10月1日 危ういイメージの領土を求めて
私がオブジェや版画の制作を通して試みているのは、
「見える詩―視えるポエジー」の具体的な顕現である。
あくまでも「暗示」であるというのに、開示から始まるイメージの伝播と、
その確かなる共振がある。作品は見る人の感性の中で新たに
立ち上がる時、ようやく創造の最終行為が完了するのであろう。
思えばそれは、つくづく不思議な事ではないだろうか。
版画の構造を限りなく三次元のヴェクトルの方へ、そしてオブジェの
構造を限りなく二次元のヴェクトルの方へと向かわせる事。
その危うく交差する地点にこそ、私が幻視する独自なイメージの
領土があるように思われる。
そのためにも暗喩的な距離と視点を保ちながら、擬態の皮膜のように、
そして仮縫いのように、テーマを注意深く立ち上げる事。
上記の文は、京橋のギャラリー椿で開催中の私のオブジェ展[10月6日(土)まで]の会場内に掲示した文であるが、50点近いオブジェを作り終えた後に立ち上がってきた偽らざる内面の吐露である。アトリエから誕生間もないオブジェが、画廊というフィクショナルな劇場空間で更なるイメージの生成を始める。その変容に立ち会う事は作者である私の秘めやかな楽しみである。嬉しいことに反響が大きく、多くの方々が画廊を訪れてくれている。そして、作品が次々とコレクションされていく。作品を通して、より多くの方に出会いたく、個展会場のギャラリー椿に私も通うことにしている(10月2・3・4・5・6日は午後より在廊の予定)。
2007年9月20日 想像の翼を広げて
今まで「あなたは寡作家だ」と人から言われ、自分でも長い間そう思っていたが、どうも違っていたようである。銅版画集の刊行の後、間をおかずに2ヶ月間で40点近いオブジェとコラージュを作ってしまったのだから、これはもう生き急いでいるとしか思えない。平均すると1.5日で1点作ったペースになるが、性急さの中でそれぞれの作品に高い完成度を課していくという事は、作りながらのなかなか自虐的な愉楽ではあった。
9月22日(土)から始まるギャラリー椿での個展のタイトルは『偽書あるいは無人の館に舞う七匹の蝶』、テーマは「仕掛けのある風景」である。以前このメッセージ欄でも度々書いてきたが、ヴェネツィアに現存するダリオ館という、館の主が次々と謎の死をとげてしまう不可解な建物をイメージの舞台に、そこから立ち上がる様々な「語りえぬもの」を次々とオブジェという構造の中に捕えていったのである。およそ2ヶ月間の制作の間、私はダリオ館の館の主に自分を重ねながら、遠望するように想像の翼を広げていった。作品の題名は例えば「ダリオ卿に扮した男のいとも高貴なる右腕」「スペインの薬局」「シャルトルを夢見た男の話」「絶対に何も書いていないベルガモンの書記」「三角形――triangleの中の三つの異なる筆跡」などなど…。登場する人物としては、デューラー、カフカ、ルイス・キャロルもいれば、モランディまでも登場する。ともあれ、私は作品(オブジェ・コラージュ)を作り終えた。これからはそれを見る人達が自由に想像の翼を広げていって頂ければいいのである。御高覧いただければ幸いである。
※ギャラリー椿 中央区京橋3-3-10第1下村ビル1F
TEL 03-3281-7808
会期 9月22日(土)〜10月6日(土)
日曜休廊 24日(月・祝日)は開催
午前11時〜午後6時30分
2007年9月18日 京都――〈ギャルリー宮脇〉
螺旋階段のある美術館といえばパリのモロー美術館を思い浮かべるが、螺旋階段のある画廊(ギャルリー)といえば、世界広しといえど、京都のギャルリー宮脇以外にないように思われる。画廊に入った瞬間に画廊主である宮脇一郎氏と御子息の豊氏のこだわりの美学が来訪者をゆるやかに包みこみ、その居心地の良さのためについ長居をしてしまうのである。同心円の中を上昇していく螺旋階段という構造は私たちを妖しい酩酊へと誘うが、二階、そして三階へと上っていくと、そこに待ち受けているのは、タピエス、フォートリエ、エルンスト、ピカソ、ジャコメッティー、ミショー……といった近代版画の秀れた画廊コレクションが突きつけてくる鋭い覚醒である。その数と質の高さはそれ自体が、今日の白痴化した幼稚な美術の状況に対する無言の批評でもあるだろう。
さて、そのギャルリー宮脇で、9月30日(火)まで私の版画集の刊行記念展が開催されている。最初の個展の時はテーマとなったパリのパサージュの映像を壁面に次々と大きく映し出し、見事な虚構空間へと変容させていたが、『回廊と円』をテーマにした今回はどのような展示になっているのであろうか。現在オブジェの制作のために京都を訪れるのはやむなく個展の26、27日頃になるが、今からそわそわして仕方がないのである。
猛暑が去り、ようやく秋の気配が立ち始めた今頃は、京都がその雅な色を最も美しく見せる時期である。版画集は日本語版が完売してしまったために、英語版の刊行を早める事にした。今までの展示をご覧頂けなかった方には、京都の散策と併せてぜひ訪れて頂きたい必見の画廊である。
※ギャルリー宮脇 京都市中京区寺町通二条上ル東側 TEL.075-231-2321
2007年8月30日 もう一度会いたい人がいる
ひぐらしの鳴く頃になると、きまって強く思い出される人がいる。2003年の8月23日に食道がんで逝去した、書評家で作家の倉本四郎さんである。おつき合いは、私と久世光彦さんとの共著『死のある風景』の書評を、倉本さんが連載している「週刊ポスト」の書評欄で書いて頂いてからである。葉山町の自宅にも度々伺い、又電話でも様々なことを話し合えた、才能一本で勝負している心強い先達であった。私の作品を評して「ポーの末裔である」といった過分な表現までも「FRaU」という雑誌の連載の中で書いて頂いた。書評家としてこの国の第一人者といって間違いない倉本さんは、深い眼力を持つ作家としても大いなる可能性を今後に秘めていた。「一度、倉本さんと悪魔主義的な本を出したいですね。悪と唯美を賛えたような怪しく危うい競作の本を!!」――私の突然の申し出に「いいね、それぜひやりたいね、やろうよ」と快く応じてくれた。しかし、出版には編集者の介在を要するため、このアイデアはあくまでも企画止まりであった。つまり、私は受身であった。
絶筆『招待』(講談社刊)という小説を書き了えてまもなく倉本さんは亡くなられた。通夜の席で義弟の方から「あなたとの競作の話を、彼は亡くなる直前まで熱く語っていましたよ」という話を伺った時、私の中で激しい後悔の念が涙となって走った。作品の発表に際し、他からの企画を待っていては生まれるべきものまでもが死産になってしまう。通夜の帰途、私は人生のギアを完全に切り換えた。直後から始まった『「モナ・リザ」ミステリー』の執筆と刊行、毎年の発表を画した版画集の制作、オブジェの制作、その他の企画も含めて、表現者としての生きる速度があきらかに変わったのは、この通夜の席での自分への怒りと悔いに拠っている。「表現者としての可能性の引き出しを全て開き切って死のう」。積極的に自分の人生をプロデュースしていくという私の生き方が画然と変わったのは、全て倉本さんのおかげであるといっていい。
「ひぐらしやなお日を残しつつ店仕舞」――倉本さんの辞世の句であるが、なおという字余りに、やり残した事への断腸のような無念が伝わってくる。晩夏のひぐらしが鳴き了えた夕暮れの静もりの時など、倉本さんにもう一度会いたいと、私は乞うように強く思ってしまうのである。
2007年8月12日 勝新太郎登場
今回は少し話題を変えて――。20歳の頃は世田谷の砧にある東宝撮影所によく出入りしていた。学生バイトで友人のAと「セット付き」という仕事をやっていたのである。その日によって例えば原田芳雄や桃井かおりが出演する時代劇や、吉永小百合のCM撮りなど、スタジオを移動して手伝いをする気楽なバイトである。
ある日来てみると、撮影所内に異様な緊張が走っていた。何でも今日は「大物」が来るらしい。係がやってきて全員で迎えるというので、私も友人のAも外に並ばされた。待っていると黒の外車がすべりこんで来て、中村玉緒が、そして次にパナマハットに特大のサングラス、上下真っ白なスーツを着た勝新太郎が現われた。その日は『王将』という映画で、勝新が天才将棋指しの坂田三吉役、相手役の関根八段役を仲代達矢が演じるクライマックスシーンの本番撮りを行なうらしい。
撮影所の中で私はよく消えた。各スタジオの中が面白く、さぼりながら見学をしていたのである。その日、私とAはスタジオセットの中にとても立派な将棋盤と駒を見つけ、さっそくセットの裏にもぐりこんで一局勝負と相成った。私は性分なのか詰めが甘く、たちまちピンチになった。「ウーン、そう来ましたか。……一手待ってくれないかなァ」――そんな呑気な事を言っている時、突然囲い板の向こうから「何処だ!!何処にあるんだぁ…」という、まるで獣が低くうなるような声が聞こえて来て、私の背後で止まった。「てめえら、この野郎!!ふざけたまねをしやがって!!」――落雷のようなすさまじい怒声が炸裂し、「何事か」と思って私はふり返った。そこに、こちらに向かって物凄い形相で目をむいた勝新が立っていた。もはや完全に坂田三吉がのり移ったようである。凄みある殺気!「殺られる」――瞬間そう思ったが、どすのきいた声で叱咤されはしたが、やがて「役者がどういう思いで本番に臨んでいるか」という説教が長々と始まった。反省しながらふと顔を上げると、勝新の後ろで心配そうにこちらを見ている仲代達矢と、何故か面白そうに眺めている丹波哲郎がいた。
「しかし、どうして見つかってしまったのだろう?」――後でスタッフに聞くと説明をしてくれた。その日は映画の中で両者が対決する重要なシーン撮り。両者が楽屋で最高にテンションを高め、役になりきってセットの中へ入ってくると、あろう事か肝心の小道具である将棋盤と駒が無い!!激しく荒れる勝新。ピーンと張りつめたスタッフ達。しんと静まり返ったセットの中、勝新自身が必死になって将棋盤をさがしていると、私とAの興じる駒の音だけが、ピシャリ、ピシャリと音を立てていたというのである。「よく、あれで無事ですんだと思うよ」――スタッフの一人が真顔でそう語った。
最後の役者馬鹿といわれた俳優――勝新太郎。その彼が真剣勝負で臨んだ本番で、神経を集中するための重要な将棋盤が無かった時の苛立ちは、心中察するにあまりあるものがある。演技のこだわりに命を懸けた彼の生涯を想う時、心底「申しわけなかった」と、今でも時々思うのである。
2007年7月30日 石榴(ざくろ)坂の上にて、お待ちしています
幅広い分野で活躍している四方田犬彦氏より詩集『人生の乞食』が、そして美術史家の中村隆夫氏より『バロックの魅力』(共著)が、相次いで送られて来た。四方田氏の詩は、その切り口が独自的であるが、わけても「悲嘆の文法」というタイトルの詩が放つ言語空間に立ち上がる豊饒さは、貧血症の詩人たちの遠く及ぶところではない。中村氏からも教わる所が多く、バロックの常数としての今日性について多くの事を知らされた。
さて、突然であるが、私の手元に一枚の古写真がある。幕末期に高輪にあった壮大な薩摩藩邸を写した写真(数名の武士が坂の途中でこちらを見ているのである)。いつ頃からか、この坂の名を石榴(ざくろ)坂という[その謂れを推理して頂きたい]。緊張感漂うこの一枚の古写真のことが何故か以前から気になっていたが、まさか、その坂の上にある画廊で私が個展を開くとは!! 画廊の名はギャラリーオキュルス。オーナーの渡辺東さんは父君が伝説的なミステリー雑誌「新青年」とも関わりがあった推理作家で、江戸川乱歩とも深い親交のあった方。ご本人も文学と美術の領域に関わっており、そのためか、ともかくこの画廊を訪れる方々は個性のある人が実に多い。ちなみに拙著『「モナ・リザ」ミステリー』も、この画廊だけで80冊以上も売って頂いた事は驚きである。先日ギャラリーで講演を行なったが、盛況で、質問も多く、話していてとても手応えがあった。現在開催中の私の新作版画集の刊行記念展は8月4日(土)まで。最終日は私も午後から画廊におります(事故などの場合のみ不在)。版画集はついに日本語版が完売となったために、英語版のみとなります。――ぜひ会場にいらして下さい。石榴坂の上にて御待ちしています。
2007年7月19日 導きのように……
古い話になるが、17年前の夏から秋にかけて私はロンドンに滞在していた。ある日、コナン・ドイルの書斎がチャリングクロス駅近くにあるパブの階上に現存しているのを知り訪れた事があった。その帰途、美術の古書を商う店を見つけ、そこで私はコーネルの美しい日記本を購入した。店主は私が美術家であるのを知ると、奥から彫刻の写真が写っている古いポスターを取り出して来て、もしよかったら進呈すると言ってくれた。そのポスターにはアヒルを抱く少年の彫像が漆黒の闇の中に浮かんでいた。「Boy with a goose」――ポスターの端には彫刻のタイトルらしき言葉がそう記されていた。何もない闇を背景に一方から鋭い光を浴びたその少年の無垢なフォルムは、表現者としての私の本能を激しく揺さぶった。しかし、表現するためのテーマと結び着かず、ポスターは17年もの間、資料ケースの中にしまわれていた。「回廊」というテーマが今回の版画集の中心に立ち上った時、自ずと、少年とそれが結び着いた。思えば同じ角度から、美術家のジム・ダインもドゥローイングで表現を試みている。何かこの彫像には私だけでなく、美学の上で煽ってくるものがあるのかもしれない。ともあれ、少年とアヒルの彫像写真は幾何学的モチーフとなって変容していった。
さて、7月23日(月)から8月4日(土)まで、高輪にあるギャラリーオキュルス(東京都港区高輪3-10-7、TEL.03-3445-5088)で版画集の個展を開催します。展示の様子を見にいったところ、オーナーの渡辺さんのハイセンスな感覚が空間を領しており、画廊内に徹底したこだわりが満ちていた。はたしてどうなるのか作者としても楽しみである。同ギャラリーで7月20日(金)pm7:00〜9:00、モナ・リザに関する私の講演も行ないます。ぜひ御高覧ください。
2007年7月9日 最も嬉しい批評
富山のぎゃらりー図南の川端さんから電話が入り、今回の版画集を購入された方々の中に20代の青年の方がおられたという事を伺い、とても感動した。「コレクションするという事は、その人にとっての創造行為であると共に、作者に対する最大の批評でもある」――そう考えている私にとって、次の次の世代からの支持を彼方から得たようで何とも嬉しい話である。20代から70代までの幅広いコレクターの方々に恵まれた私は、作り手として幸せ者である。ますますこれからも挑戦したいと思う。
今回の版画集を購入注文される一つの傾向として、画廊にとって未知の方からホームページを見て直感的にコレクションの希望を判断され、遠方からでも電話で気軽に注文が入る場合が増えているという。これも今までにない形であり、新しい世代と画廊との関わり方が少しずつ変わってきているように思われる。この傾向は、今後さらに増えていくだろう。
さて、東京では7月9日(月)から28日(土)まで、G池田美術Study(中央区銀座8-12-6 小野商ビル5F、TEL.03-5941-7365)にて、「版画集――詩想と謎を秘めた多面体への挑戦」と題して、今までの私の主な版画集と今回の版画集を併せた展示を開催中。旧作の方はどちらも完売のため今は既に絶版となっている版画集であるが、久しぶりにそれらと現在のイメージの変化を自分の眼でも確かめてみたいと思っている。御興味のある方は実際に画廊でオリジナルの作品を見て頂ければと願っている(版画集で刷っている銅版画の原版も、舞台裏を見て頂くつもりで今回は展示する予定)。
2007年6月30日 近況二話
(1)先日、シュルレアリスム研究家の鶴岡善久さんのお誘いを受けて、竹橋の近代美術館で開催されるアンリ・ミショー展のオープニングに行った。まとめて見るミショーの作品が持つ文字と絵画との婚姻の形は、私を表現の原初性へと導いた。多くの展示作品の中でも鶴岡さん所有のリトグラフ集『メードザンたち』が見せる黒の闇の深さは圧巻であった。ちなみにメードザンとは妖怪の意味らしい。「ミショーは、やはり黒に尽きますね」と私が問うと、鶴岡さんは、「ミショー自身もそう語っています」と話してくれた。ようやく語られはじめた日本でのミショー考。しかし、ミショーの表現世界は、まだまだこの国で理解されるのには多くの時間を要するだろう。
(2)嬉しいことに、6月4日から刊行をスタートした銅版画集の評判が良く、まだ1ヶ月も経っていないのに既に40セット以上の購入予約を頂いた。30代、40代の人達が多いのも嬉しい話である。前回のこのページで記したように、私より新しい世代の人達の感性に届いてほしいという私の理念が形となって返ってきている。「コレクションするという行為もまた、もうひとつの創造である」とする私の考えが、未知の若くて鋭い感性を持った人達と確かにつながっているのを感じる。展覧会は10月末まで各地で開かれる。より多くの人達に見て頂ければと願っている。
2007年6月15日 版画集は私にとって、詩想と謎をからめ取るための危うい装置なのである
6月4日、不忍画廊からスタートした版画集の刊行記念展は、9日から富山のぎゃらりー図南(TEL:076-492-5850)が始まり、これから丸亀のあーとらんどギャラリー(TEL:0877-24-0927)、名古屋のMHSタナカギャラリー(TEL:052-269-3751)と続き、10月末まで全国の主な画廊で開催される予定になっている。今回の作品への反響は今まで以上に大きく、14日現在、既に25セットの購入予約が入り、日本語版の限定部数(48部)の半数以上を早くも超えてしまった。版画集にしか出来ない可能性をギリギリまで追い求めれば、必ずそれを深く受けとめてくれる人達がいる。私の確信はさらに深まっていくことになるだろう。
さて、今回で7作目の版画集であるが、ふりかえると、その多くが完売のため最初の価格から比べて倍近い評価額に上ってしまっている事は、作者として嬉しい驚きであり、自信にもなっている。今回の定価は8点入って26万円(会期中の予約者のみ23万円)であるが、「あなたの版画集は安すぎる」という意見を、予約された複数のコレクターの方々から先日頂いた。私の旧作は、現在最も上ったのは15倍〜20倍にもなるが、その他も時を経て急ピッチで上昇し、私の手元に旧作の在庫は全く無い。美術市場で評価されている私の価格帯から見れば、ふつうは40万円近い数字に設定するだろう。では、何故最初の発表価格を低く始めているのか?――その理由はいくつかある。
先ず第一は、最初期にコレクションして頂いた方々の決断力に対する感謝である。次は、秀れた作品を作れば、その作品独自の強さが自ら評価を作っていくものであり、旧作が高いからといって新作も高くするのは、絶対に間違っているという私の信念である。そして最後は、美大の学生の時にいささかの無理をしてメクセペルの版画を購入した時の私の喜びの記憶を、現代の若い世代の人々にも体験してもらいたいという考えから、多少無理をすれば学生でも購入可能な価格に設定しておきたいという、――つまりはひとつのロマンチシズムへのささやかなこだわりを私は持っているということに拠るのである。
版画史における秀作の多くは、実は「版画集」の中から出ているという歴然たる事実に気づいている人は案外に少ない。詩想と謎をからめ取るための危うい装置としての「版画集」というイメージの器には、まだまだ挑むべき秘めたヴィジョンとテーマを私は持っているのである。
2007年6月8日 画廊とは本来、イメージの劇場ではないだろうか
自分が作り上げた作品を、喩えば演じる俳優に見立てるならば、それが展示される空間は、まさしくひとつの劇場ではないだろうか。しかし現実にはそういうフィクショナルな空間を想わせる美術館や画廊を見かける事は本当に少ない。展覧会にかける情熱、洗練されたセンスなどを実際に持ち合わせている人物が、欧米に比べてあまりに少なすぎるのである。
東京の八重洲にある不忍画廊で6月16日(土)まで開催している私の個展は、自分で言うのも僭越ではあるが、画廊空間が作品のイメージ世界に応えてくれて、まことにミステリアスな変容を遂げている。今回はその事を書こう。
不忍画廊の荒井氏は、私のイメージから図書館を連想し、あろうことか中世イタリアの修道院にあるような書見台を作り上げ、そこに私の版画を一堂に並べた展示を提示して見せている。額という固定観念から離れ、「展示とは何か?」という問題をゼロから解体し、革新的な着想を立ち上げたのである。打てば響く。画廊側の感性と作者のイメージがコラボレーションとなって不思議な空間が顕在化しているのを、今回の個展でぜひ見て頂ければと願っている。
三年前のパサージュをテーマにした私の版画集の展示では、京都のギャルリー宮脇がパリのパサージュの情景を大きな壁面に次々と映し出し、パサージュ空間の「不思議」を見事に再現して来場者(私も含めて)をアッと言わせていたが、ことほどさように、作者をも唸らせてしまう美学の持主が画廊を営む側にも確かに存在しているのである。そして、そういう人達が私の版画集の展示を積極的に行なってくれているという事が、私にとっての密かな誇りにもなっているのである。
※不忍画廊 中央区八重洲1-5-3不二ビル1F TEL(03)3271-3810
2007年5月29日 私自身の全てが
1年間の制作期間を要した銅版画集がようやく完成し、全国の主要画廊での展覧会が始まることになった。6月の開催画廊は不忍画廊(東京・八重洲 TEL:03-3271-3810、4日から)、ギャラリー図南(富山 TEL:076-492-5850、9日から)、あーとらんどギャラリー(香川 TEL:0877-24-0927,16日から)、MHSタナカギャラリー(名古屋 TEL:052-269-3751、19日から)の4ヶ所。その後、7月からは8ヶ所の画廊で10月末頃まで個展(刊行記念展)が続く予定。ともかく今は疲れの頂点にあるが、作品の表象にポエジー、毒、エスプリなどは封印しきったという手応えはある。後は、それを見に来られる方々に問うだけである。それが楽しみである。題して『Element――回廊を逃れゆくアポロニオスの円』。今の私自身の全てが、この中に入っている。ぜひ見て頂きたいと願っている。
〈7月以降の画廊日程は、追って当ホームページでお知らせします〉
2007年5月22日 何故かMake-up shadow
20日夕刻、後輩のMさんが手配してくれたチケットを持って井上陽水のコンサートに出かけた(Mさん、いつもありがとう)。『リバーサイドホテル』『いっそセレナーデ』…などの曲が次々と流れる中、私は「時世粧」について、ふと考えた。
「時世粧」――広辞苑を引くと「当世風のすがた」とあるが、まあ、各時代における表現のリアリティーを孕んだスタイルぐらいの意味である。例えば、陽水はなぜ一人だけ、フォーク世代の歌手たちから抜け出せたのか?答えは、時代と寝なかったからである。そして、〈俺が〉、〈私が〉、という私小説くさいメッセージが多い中で、自分の作品世界からも一定の距離を置き、客観的なフィクションとしての曲作りに徹したからである。さらに、ずばぬけた歌唱力、ハイセンスな言語感覚、そしてイメージの引き出しの多さが、そこに加乗する。一流の表現者と二流のそれとでは、つまるところ何が違うのか?それは、作品に「艶」、さらには「あや」が馥郁としてあるか否かに極まるだろう。しかし同一人物でも、これがいつまでもあるとは限らない。鍛錬を怠れば、たちまち感性は色褪せる。それはどのジャンルの表現者にもあてはまるだろう。
……そんな事をつらつら考えている内に突然、私の一番好きな曲である『Make-up shadow』が始まったので、現実に戻った。見ると、満席の客はもはや放心状態である。そして、最後の曲は『少年時代』。完璧に計算され尽くした陽水の舞台は、人々を酩酊の中へ置き去りにしたまま幕を閉じた。かくして充電は終わった。さあ、明日から私もまた制作に戻らなくてはいけない。
2007年5月17日 日記――5月某日に
6月1日刊行予定の銅版画集『Element―回廊を逃れゆくアポロニオスの円』の制作が最後の追いこみに入ってきた。
パリから帰国中の中田洋子さん(BIWAKOビエンナーレ展のプロデューサー)と出品に関する打合せのため表参道のスパイラルに行く。中田さん、スパイラル館長の国領さん、作家のジャンさん、そして各国のアートビエンナーレ展をリアルタイムで見ている荒川さん達と雑談の後、会食。多くの面白い情報を得る。中田さん、荒川さんは6月のヴェネツィアビエンナーレに行くとの由。私、当地にある幽霊館ダリオ館をぜひ見てくるように薦める。中田さんは10月のビエンナーレ展の会場の近江八幡で、私の作品展のために趣のある洋館を考えているとの事。聞いていてジンと熱くなる。打てば響くところのある私は、版画集の他に多くの写真も展示、またワークショップの他に、「では講演もやりましょう」と言ってしまった。
近江八幡は清らかな水が流れ、古い建造物が多く現存するタイムスリップしたような街。そこに何かが待っている。――私の直感が、そう揺れている。
2007年5月5日 日記――ある春の夜に
4月21日の講演『受胎告知を読み解く』は、定員をオーバーする盛況であった。今後の講演は、女子美術大学(5月30日)、玉川大学(6月8日・21日)と続く予定。先日、新宿の朝日カルチャーでの講座の後、上野毛にある多摩美術大学で西洋美術史を教えているN教授に会いに行く。N氏は2月にヴェネツィアを訪れた由。主人が次々と自殺をするダリオ館という幽霊屋敷がヴェネツィアに実在しているという話を私がすると、N氏は強い関心を示す。今、版画集の最後の刷りに入っているためどうも感覚の方の神経が疲れきっているのか、N氏とのおしゃべりは、かえってとても心地よく、いつにもまして面白かった。ダ・ヴィンチから始まり、ピカソ、キリコ、アポリネール、ターナー、そしてパラディオへと次々と話が移って行く度に、N氏は研究室にある大きなプロジェクターに各々の作品を映し出してくれるので、検証がリアルタイムで行なえ、話が弾む。N氏、6月のNHKのラジオ番組で、拙著『「モナ・リザ」ミステリー』について話をしてくれるらしい。楽しみである。
夜、N氏と別れた後、大学の中を歩く。久しぶりに訪れたというのに、30年前に私がいた頃と全く変わっていない。まるでタイムスリップしたような感覚がふと立ち上がる。地下の狭い版画教室、汗を流した剣道部の部屋、――将来のあてなどなく、ただ、眼だけギラギラしていた20才の頃の私の影が、ふと横をよぎったように思った。
2007年4月19日 かゆい所に手が届く
15年ばかり前の話であるが、筑摩書房の編集者から「あなたには出版プロデューサーの才能がある」と言われた事があった。私の着眼点が面白いらしい。すぐに本気にしてしまった私は、さっそく「詩画集」の新しいプランを打ち立てた。それまでの、画家1人と詩人1人という常識を破り、1人の詩人に、私を含む3人の画家をぶつけて3分冊の詩画集を作ったのである。この企画は当たり、詩人は島崎藤村記念歴程賞を受賞し、本もかなり売れた。気を良くした私は、その後『須賀敦子のいる風景』というテーマを某出版社に持ちこんだが、編集者は乗ってこなかった。「塩野七生さんだったら出したいですね」と、他力本願的なことを編集者が言っているうちに、私と同じテーマを立てた別な出版社によってシリーズで刊行されてしまった。本はやはり売れたようである。次に浮かんだのは、藤島武二、竹久夢二、伊藤晴雨の絵の代表作に共通してモデルとなった「お葉」という女をテーマとした本であるが、これもしばらくして晶文社から本が出た。どうも私と似た発想をする人はいるらしい。今、抱いているプランは、『寺田寅彦のゆるやかな時間』、そして『ジョセフ・コーネルの日記を訳した本』などいくつかあるが、ここに視点を重ねた企画者はまだいない。
ところで昨日、とんでもない出版物の着想が浮かんだ。『聖遺物は、はたして誰が作ったのか!?』という、中世だったら火刑にされるような禁断的発想である。聖骸布、キリストを処刑したときの釘、十字架の木片、ノアの箱舟の断片、茨の冠の断片、といった数多く存在するキリストの実在をイメージさせる「証拠物件」は、何処で何時、誰が作って仕掛けたのか?というタブー領域への侵犯である。現在トリノにある聖骸布は、プロテスタントの台頭に危機感を抱いたローマ教皇側がダ・ヴィンチに作成を依頼した!!という研究書は出ているが、その他の聖遺物の出所は謎である。ともあれ、多少生命の危険はあるものの、もし刊行が実現すればかなりショッキングな本になるだろう。元来、プロデュースするという事は、世の中を驚かす事であり、挑発であり、爆弾を仕掛けるという視点がなければ意味がない。私は出版社に勤めてはいないので、刊行する立場ではないが、「かゆい所に手が届く」――そんな本の出現をいつも夢見ているのである。
2007年4月2日 『受胎告知』講演のお知らせ
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『受胎告知』が、現在、上野の国立博物館で展示されている。1476年頃の作であるからレオナルドが24才前後(21才の説もある)に描いたものとされるが、私達の知る「人類が生んだ最大の知的怪物」としてのヴィジョンの深遠さは、まだこの作品にはない。しかし驚くべきは、既に空気遠近法の効果を取入れている実験的な点と、天使の羽根や植物などの実に精巧な描写力であり、後の自然科学者としての視点と画家としてのそれを併せもった異常な早熟ぶりが隠見されることである。つまり、見る側の着眼の切り口によって、様々なドラマが、透かし見えてくるスリリングなものを、この画は多分に秘めているのである。
さてこの度、『封印された謎――「受胎告知」を読み解く』と題して、4月21日(土)に横浜駅東口・ルミネ横浜8Fにある朝日カルチャーセンターにて講演をいたします。興味のある方はぜひご参加ください。お問合わせはTEL(045)453-1122。時間は午前10:00〜12:00。「受胎告知」から「モナ・リザ」、そして絶筆の「洗礼者ヨハネ」まで、ダ・ヴィンチの辿った知と闇の迷宮について、スライド上映とともに2時間、熱く語ります。
2007年3月20日 過剰な人――井上有一さん
先日、六本木のウナックサロンで開催されている井上有一展を見てきた。アカデミックな意味での「書」の域を超えた、「字」がほんらい孕んでいる生命のダイナミズムの一気呵成な表現力は、私の現在に猛省をうながしてくれた。その井上さんとは、同じ展覧会の出品作家として御一緒したことがある。『未来のアダム』展(渋谷西武百貨店)と題した展覧会で、出品作家は私と井上さんの他に、浅葉克巳、金子國義、田原桂一、坂茂、日比野克彦、丸尾未広、四谷シモン、高橋睦郎といったメンバーで、ジャンルを異にした面白い企画であった。オープニングパーティーは盛況であったが、各出品作家はスピーチをしなければいけない。何か面白い話はないかと考えていると、スピーチしている井上さんの声が響いて来た。「私はもうすぐ死ぬ運命にあります!!」――断定口調で語る井上さんの言葉を聞いて、会場は大いに湧いたが、私は「ああ、この人はまもなく亡くなるんだな」と思った。パーティーが終わり、多くの人々と共に私も会場を後にした。すると、先の方を歩いている井上さんの姿が見えた。「この人は、本物だな」――井上さんの出品作品を見てそう思った私の中で、ちょっとした悪戯心が立ち上った。一瞬で束ねた「気」を、先を行く井上さんの背におもいきりぶつけたのである。すると井上さんは、強い痛みを感じたかのように、瞬間、背をのけぞらせ、それからゆっくりと、「気」の送り主を確かめるようにふりむいた。そして私を見ると、「ああ、君だったのか」といった表情を浮かべ、透きとおるような微笑をたたえながら私に深々と御辞儀をされた。私もまたそれに応えて御辞儀をした。そして、その数ヶ月後、井上さんは予言どおり急逝されたのであった。
井上さんの書には、「魔」と「聖」が過剰なまでに封印されており、それが見る人の生の律動を激しくゆさぶってくるのであろう。棟方志功以後の日本における表現主義の数少ない体現者であると私は思っている。美は本来危ういものであるという自明の事を、井上さんの表現世界からもっと学ぶべきであると思う。
2007年3月8日 走る――土方巽
天才舞踏家の土方巽氏との日々を記した『土方巽とともに』という本を、夫人の元藤Y子(もとふじ あきこ、「あき」は火偏に華)さんが筑摩書房から出すというので、その装画を依頼され、打合せをかねて湘南にある別荘に同行したことがあった。横長の平屋建ての玄関を開くと、奥から家の番をしている青年が現われた。暗がりから出て来た青年のすぐ背後に、くぐもったような「気」の揺れがざわめいたのを一瞬感じ取った私は、初対面のあいさつもそこそこに突然、こう聞いた。「ここ、出るでしょ!?」――青年は返すように「毎晩です!!この長い廊下をすさまじい奇声を発しながら駆けぬけていきます」と答えた。その声の主とは、勿論、すでに亡くなっている土方巽である。夫人の方を見ると、すでにその事は知っているらしく、ニヤリと笑った。その後、渋澤龍彦氏の三回忌が北鎌倉の浄智寺で開かれた折、詩人の吉岡実さんがあいさつに立ち、「渋澤の霊はすでに天に昇ったが、いまだ土方の霊は現世に在る」と断言するように語った。吉岡さんも、あるいは何らかの形で感じ取っていたのだろうか……。
別荘を訪れた日は、私の感受力はとくに冴えていたらしく、よく「物」が見えた、、、、。三島由紀夫や寺山修司他の直筆原稿などを手にしていた時、机の下にある厚い茶色の紙に包んだ物が10ヶほど積んであるのが目に入った。それが何なのか、とっさに私にはわかった。「鎌鼬(かまいたち)ですね!!」――私が言うと、度量の広い元藤さんは「良かったら一冊持っていっていいわよ」と軽く言われた。土方巽をモデルに若き日の細江英公氏が撮った写真史に残る名作で、その頃は40万円近い値がついていた。その後、吉岡実さんも、元藤Y子さんも逝かれて、私の手元には写真集『鎌鼬』だけが残された。狂気と静寂が白昼夢の中で結晶化したような、その写真集を開く度に、あの日の事が想い出される。
「土方巽」――ディアギレフとニジンスキーを合体させたような、この不世出の天才児は、やはり多くをやり残していたように、私には思われるのである。
2007年2月22日 nice guy ――佐谷和彦氏
以前パリにいた時に、大規模なアートフェアーが開催されたことがあった。質の高い画廊がヨーロッパ中から集まっており、私はパリ在住の画家と共に訪れ、画商の人々とも話をした。「日本の画廊ではどこを知っているか?」私の質問に彼らがそろって挙げたのは、佐谷画廊の佐谷和彦氏の名前であった。さらに、画商の一人が言葉を続けて、私にこう言った。「彼はナイスガイである」と。
その佐谷氏が最近、七冊目になる著書『佐谷画廊の三十年』を、みすず書房から刊行した。画廊の域をこえて美術館レベルというべき質の高い企画展の歩みが記されているが、特に第1章の「五百年往還の旅・メレンコリアI」が面白い。デューラーが「メレンコリアI」に封印したメッセージをめぐって、知的感興にみちた佐谷氏の推理が展開している。文中、私も登場し推理に参加しているが、まるでホームズとワトソンのようにミステリーの解読に没頭していくさまに、きっと読者の方もスリリングな想いを抱かれるのではないだろうか。数年前に雑誌の『ブルータス』が日本における優れた美術書のトップに、佐谷画廊が刊行し続けてきた「展覧会カタログ」のことを載せていたが、私はその着眼点に敬服したことがある。カタログは今はとても入手不可能なものであるが、その内容は佐谷氏の七冊の著書に求めることは可能である。それらを通読する事によって見えてくるのは、行政までも含んだこの国の美術状況の貧血症的な歪みに対する氏の警鐘であり、さらには芸術における深い観照の意味と、豊穣なるヴィジョンへの導きと、その豊かさである。特に若い世代で美術の表現者や学芸員を目ざしている人たちには、強く購読を薦めたい必読の書である。佐谷氏の七冊の著書を読むことによって得られるものは、実に大きいものがある。
(問合せ先――みすず書房。電話03-3814-0131)
2007年2月13日 今年の10月、私は何処に?
1月7日の「メッセージ」に記した件で、出版社から第2報が入って来た。今年の10月から刊行記念として、フランスの美術館で作品展を開催するという知らせである。近々に美術館の方から正式に出品依頼があるとの由。当初思っていた以上に大きなプロジェクトが進行しているようである。ともあれランボーをテーマとして、ピカソ、ジャコメッティ、エルンスト、ジム・ダインたちと共に私の作品が同じ壁面に並ぶというのは、大いに刺激的な事である。10月にレセプションがあるので3年続けてパリに行くことになるが、しかし、この月は大変な事になるだろう。ギャラリー椿(東京・京橋)で新作ばかりのオブジェの個展があり、近江八幡で「BIWAKOビエンナーレ」への出品参加があり、大学での講演も入っている。また6月刊行予定の版画集の巡回展が残っている。10月、はたして私は何処にいるのだろうか? 今、まったくその時の事が見えていないのである。
2007年2月4日 蕪村、そして一青窈
先日、車で鎌倉方面に向っている途中で、「家中庭」「影取町」といった気になる地名が次々にとびこんで来て、なんだか一青窈さんの音楽世界に入っていくようで不思議な気分がした。
一青窈さんの才能に注目したのは、『面影モダン』という曲を聞いてからである。
あなたがくれた曖昧さ 誰ゆずりか、も
ぶっつり途切れた電話 牡丹が凍る
オヤッと思った。そして、この人は与謝蕪村の俳句をちゃんと勉強していると思い、その作詞法の独自さに感心した。揺らぎの後に突然くる「牡丹」という言葉のレトリックの冴えに引きつけられたのである。よく知られた蕪村の句「牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片」よりもこの場合は、「ちりて後おもかげに立つぼたん哉」の句に近いであろう。さらに言えば、『月天心』という曲は、同じく蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」を想起させ、『ハナミズキ』という曲の男女の100年の恋の成就のイメージは、漱石の『夢十夜』の中の「百年」という言葉の幻視的な効用と重なるものがある。レトロと現代を織り交ぜた時世粧は洗練され、巧みであるが、まだまだ幅広いイメージの展開がこの人には待ち受けているに相違ないと、私は見ている。
さて、蕪村である。数ある秀句の中で今の私が選ぶのは、「ふためいて金の間を出る燕かな」という春の句である。仏間の暗い室内に卒然と浮かび上がる金色の色彩(あるいは金屏風でもよい)、17文字の中を切り裂くように飛翔する燕、言葉のみが捕えうる速度と時間軸、そして明暗のコントラストの妙。この豪奢なイメージに、例えば美術の世界でかろうじて対峙しうるのは、日本的な叙情ではなく、むしろポロックやイブ・クラインといった異なった原理の上に立つエレガントな狂気だけなのかもしれない。蕪村の幻視の世界は21世紀の今、ますますそのモダンな光彩を放っているのである。
2007年1月25日 メメント・モリ――死を想え
「北川さんの趣味は何ですか?」と聞かれると、「墓地の中に入っていって、見知らぬ人の墓碑銘を見て歩くことです」と答える。すると、たいていの人は一歩引く。さすがに自分は墓フェチなのかなと思ってみたりもするが、最近、同じ趣味の人を見つけた。小説家の川上弘美さんである。川上さんのエッセイ集『あるようなないような』の中で、「墓は、実はずいぶん好きなのである。墓の何が好きか。墓地を歩くことが好きなのである。……」と、墓地巡りの記述が続く。川上さんとは、詩人の高橋睦郎氏の家で一度だけお目にかかった事がある。とてもそのような人には見えず、意外であり、面白かった。墓碑銘を見ていると、光差す午後の一瞬に、その人の人生の切れ切れが立ち上がってきて切なくなる。叙勲のメダルを名誉と信じて必死で頭を下げている人々の生き様に、つい「君たち、ごくろうさん!!」と声をかけてやりたくなる。墓地は、私にとってメメント・モリの最高の教訓の場所なのである。
2007年1月7日 Happy New Year 2007
(1)正月早々から嬉しい話が、フランスのパリの出版社から入って来た。詩人のアルチュール・ランボーを主題とした美術書を今秋刊行するにあたり、私の版画2点を掲載したいという申し出を受けたのである。本に掲載するのは、私の他に、ピカソ、ジャコメッティ、エルンスト、コクトーといった第一線級の作家たちの名が並んでいる。ランボーをモチーフとして海外の主要作家たちが共通したように取り組んでいる事は、不思議な符合として知っていた。その彼らを東洋の地で一人意識しながら、また彼らの水準に達したいと願いながら制作してきただけに、ようやく作品の真価が正当に評価された証しとみていいだろう。私のオブジェ作品を最初に高く評価してくれたのは来日中のクリストであったが、今回の件はまた別な感慨があり、今後の大きな自信になっていくであろう。
(2)ローマに遊学中の谷川渥氏から新刊の『美のバロキスム』が届いた。バロックの概念を打ち破り、さらなるアニマの底を開示した、読みやすく、かつ深遠な必読の書だと思う。谷川氏とは、テクストとオブジェをからませたコラボレーションを2008年に開催する予定で打合せを重ねている。今年3月の帰国が待ち遠しい。私はかつて、ローマのコロッセオ裏で40人のジプシー達に囲まれ大乱闘を演じたが、氏はどうか無事でいてほしいと思う。
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